京大の3回生の時にふとした縁から猫を飼い始めました。

私が31歳の時に母親の直腸がんの発病が起こり、その後33歳の時に死亡。

そして直後に父親の肝臓がんが発見され、38歳の時に死亡しました。

言葉を換えれば私の30代は両親の看病に完璧に塗りつぶされた時でした。

京大に合格したのは36歳の時でしたが、

父親の看病を一人で行いながら京大医学部に年齢の半分の子達に交じって勉学をするのは途方もない努力が要求されるものでした。

あまりの苦しさに親切に近づいてくださった方に縋ると、

のちにその方はストーカーに変わってしまいました。

日本にストーカーという言葉のまだ存在しない頃でした。

後に渡英した時にイギリス人に彼のことを話すと、彼らは

『そういう人はストーカーというのよ。』と教えてくれました。

そしてそれから数年後、日本にストーカーと言う言葉が入ってきました。

ある意味、流行の最先端を走っていたわけです。

(と、今なら冗談に言えますが当時は恐怖でした。父親も『彼が美智子を殺しに来るから守ってやってくれ。』と京都の少ない知り合いに頼んでいました。で、最後まで心配をかけるとんでも親不孝娘でした。)

 で、得た教訓。

人に頼るのは今後絶対にやめよう!

で、天涯孤独になった心の寂しさを猫に頼るようになりました。

そのストーカー問題で、どうしても引っ越しせざるをえず、仲介業の方がなぜか

『猫飼いませんか?』

と声をかけてきました。

で、渡りに船!とその誘いに乗ることにしました。

ある夕刻、仲介業者のお友達の方が二匹の子猫を連れて新居にやってきました。

一匹はスコティッシュフォールド、そしてもう一匹はメインクーンでした。

その方は二匹ともに私に飼ってもらえると思い込んでいたようでした。

でも私のつもりでは一匹で十分と言う考えでしたので、どちらを頂くかと迷いました。

スコティッシュフォールドはゲージの口が開いた瞬間、部屋中を走り回り始めました。

飼い主の方は捕まえるのに大変な苦労をされていました。

対し、メインクーンはおとなしくゲージから出てきません。

あまりのスコティッシュフォールドの活発さに恐れを抱いた私はおとなしい方の猫にしようと、ケージをのぞき込みました。

そこに居たのはもう成猫としか言えない大きさの猫が震えていました。

『私になついてくれるように子猫が欲しいのですが…』

そう口にした私に持ち主は

 『これは子猫なんです。日本ではまだ珍しいですが、メインクーンと言う一番大きい種類の猫なのです。

特にこの仔は子猫の部のチャンピオンなのでできるのであればこの仔の子孫を残してほしいのですが。』

と説明してきました。チャンピオンと言うことで価格に恐れを抱きながら尋ねると、ただでいいとのこと

ただ可愛がって育ててやってください、との言葉を残して成猫としか思えない大きさの子猫を残して去って行かれました。

こうして人生に初めて猫を飼うことになったのです。

あらましのものは飼い主の方がおいて行ってくださいました。

名はメニランと名付けられていましたが、自身で新たに名付けたいと思いました。

当時、私達が必死に勉強していたのは病理学、そしてその教科書の著者はロビンスと言いました。

そこで、私は彼をロビンスと名付けました。

世間の人々には好意的に受け止められたこの名は友人医学生の間では評判が大変悪かったです。

こうして私とロビンスの生活が始まりました。

確かに彼はまだ子猫で、子猫ゆえに色々のことで失敗することも多くその失敗のたびにプライドが傷つくのか非常に気まりの悪そうな顔をしていました。

その彼の失敗と彼の様子に思わず笑いがこぼれて、その時に私は自分が笑っていることに気が付きました。

そして自身が笑っていることに不思議を感じ、この7年間緊張状態で全く笑いを忘れていたことに気が付きました。

こうしてロビンスは私の心の中に明るい世界に再び戻してくれました。

実際の所、彼は非常に不思議な猫でした。

実際にペットを飼われたことのある方は多かれ少なかれその不思議な力に気づかれることが有ると思いますが

彼は人間性を深く読み取る猫でした。

そして彼自身が気に入らない人には手ひどいいたずらをして彼の不快感を表明していました。