この時私はイギリスのシェフィールド大学からのメールを頼りに学生ビザのもと

イギリスに渡ろうとしていました。

前年の秋にシェフィールド大学から私の希望に対して非常に好意的なメールを頂いておりました。

そのメールを京都大学医学部4年生の時から彼の地で知り合いになり、

私のイギリス渡航を応援してくださっていたコーンウォールマクミランサービスのマネージャー、シーラに転送し

彼女からは『Well done, Michiko!(よくやったね、みちこ!)』の返事を頂くことができました。

その彼女からの返事に成功を確信し、翌年2月を以て勤務先を退職し、3月最終調整のためにシェフィールドを訪問致しました。

その状況下、よもやこの計画に齟齬が出ようとは思っていませんでした。

私の滞在を知らせるイギリス、コーンウォールの地元の新聞紙の切り抜きです

ロビンスを探し出すために日本出発を遅らせなければならない。

そのための航空券の取り直しに京大生協の旅行者センターにコンタクトを取った私がきかされたのは、

シェフィールド大学からの文書が不十分であり、

学生ビザとしての入国は不可能と言う根底から私の計画が崩壊しているという事実でした。

  誰もが羨む勤め先を辞職し、

そのあとに控えていた東京の国立がんセンターに勤務するという約束された将来も自分から拒否し、その結果に得られたものは…。

 どのようにこの事態を収拾するか、大阪でさまよっているロビンスをどうするか、

迷いながらなんとか和歌山の自宅には辿り着いたものの

掃除のために依頼している家政婦の方に帰ることを伝えていなかったために

日の光に消毒されていなかった何か月押し入れにしまったままの布団に考えもなしに就寝し、

翌朝、何か正体不明のダニらしき虫に全身を噛まれ、自宅に滞在することは不可能と

自宅を逃げ出し、京都に向かいました。

全身のかゆみだけでなく、旧友、特別親しい患者の方からは電話が引きも切らず、

『関空に先生の前途を祈ってお見送りに行きたいので出発の日時を教えてくれ。』

との言葉に何を言っていいのか、自分自身考えをまとめることはできなかったのです。

とりあえず、京都の安いホテルに滞在しながら、これから自分が何をしたいのかを必死に自分の心を見つめながら考えました。

すべての積み上げたキャリアを失ってしまった今、何が自分にできるのでしょう。そして唯一の家族も失ってしまいました。

 母の再発、母の死、父の癌、そして父の死。

  でもその過程で自分を励ましてきたのは私達家族が味わった苦しさをこのままで朽ち果てさせない、

その苦しみを新たな道へと昇華させたいという思いでした。

この頃になぜに私がこれほどに強くイギリスに行くことにこだわったのか、

それはイギリスが世界で初めて近代ホスピスを設立した国であったからと言う事実にありました。

  今とは異なり情報不足していた時代に、母の状況を少しでも知りたくて

   (当時まだ医師ではありませんでしたので)

 様々な闘病記、ドキュメンタリーなどの書籍を読み漁りました。

その中で出会ったのは終末期医療、ホスピス、緩和ケアなどの言葉でした。

そしてそこで得た情報は父の看護の間も私の道筋を照らすともしびでした。

 妻を失い、仕事も失い、自身もがん告知された父親…恐れ惑う人を支えられない無力な自身、

 そこに何か医療制度のブラックホールが存在しているかのように感じ、自身の経験で得たことをそこに投入していこうと考えたのです。

  ホスピスと言う言葉、実は新しい言葉と考えられがちですが実は古い歴史を持つ言葉です。

中世、キリスト教の信者の方々は聖地エルサレムを目指して、長い苦しい旅をしていました。

丁度、日本のお遍路さんの様に…。

旅の苦しさ、厳しさからその旅の途上に病み倒れ、亡くなることも珍しいことではありませんでした。

そうした巡礼の旅の途中に倒れた方々を収容する施設と活動したのがホスピスです。

と言っても医療の未発達な中世、何ができるわけでもありません。

ただ、体をふき清め、水を口に含ませ、死に逝くの人の傍で手を握る事しかできません。

ただ、心の癒しと慰めを与えるための施設として一時期、数多くヨーロッパに存在したと言われています。

そしてイギリスにてシシリー・ソンダース博士の登場にて近代ホスピスの復活となるわけです。

ホスピスと同じ語源をもつ、ホスピタリティ、ホスピタルよりもホスピスと言う言葉ははるかに発生は古いかもしれません。

両親の二人を看取った者として、その過程に悩み苦しんで者としてその理念を医師として体系だって

その根源たる癒しの精神を学びたいと思ったのが私が渡英を計画した理由でした。

眠れない暗闇の中に両親の看護の日々、死が走馬灯の様によみがえって来ました。

そして思ったこと、やはりこの経験は無駄にすることはできない、やっぱりイギリスに行こう…。

例えその道が途方もなく苦しいものであったとしても…。