時間のある時にyou tubeを見ることが多いのですが、私の検索によくWaterloo Bridge と言う名の映画が上がってきます。

なぜに私の検索のタイミングでこの映画が上がってくるのかは不明なのですが…。

日本語タイトル哀愁、原題Waterloo Bridgeとは全く異なります。

その為に私の中で父が繰り返し語っていた映画と私のイギリス経験と全く結びつきませんでした。

亡き父がこの映画に大変な感銘を受け、生前たびたび口にしていたことを覚えています。

主演女優ヴィヴィアン.・リーの美しかったこと、ヒロインの巡り合った人生の残酷さ、皮肉さ、

そして結果として彼女がWaterloo Bridgeで自殺してしまう最後まで

いつもいつも繰り返し私に語っていました。

おそらく父の中では遠い日の思い出としてタイトルさえも記憶に残っていなかったのかもしれません。

でもその哀愁と言うタイトルを私に教えてくれていたとしても…哀愁と言うタイトルでは

イギリス滞在中にウオータールー橋とは私の中で結び付かなかった可能性は高いです。

イギリスのエクセターと言う街に住んでいた時、

日本に帰るためにヒースロー空港に入るのはほとんどの場合長距離バスを利用しましたが、

たまに鉄道を使う時にはウオータールー駅、あるいはパディントン駅に入りました。

そこから地下鉄、或いはヒースローエクスプレスを利用してヒースロー空港へとアクセスしておりました。

緩和ケアを学ぶために入学したロンドン大学キングズカレッジもその近くにあります。

そうして経験からウオータールーは私にとってはイギリス生活振り返る時思い出深い名前でした。

その駅の近くにウオータールー橋はあります。

それほどにこの場所を訪れていても、父があれほどに語っていた映画の場所がこことは全くおよびもつかなかったのです。

まさか、後に自身がこの場所を自身の足で歩く日が来るなどとは想像すらしていませんでした。

まして父が口にした場所を自身が自分の足で歩いているとも思いませんでした。

有名な映画ですし、ストーリーについては御存じの方もいらっしゃると思うし、

そしてやはりこの美しい悲しいラブストーリーは映画の実物を見て頂いた方がずっと感動すると思うので

敢えてここでは控えさせて頂きたいと思います。

映画のテーマ曲として使われているAuld Lang Syneは日本でも蛍の光の名で親しまれている曲です。

この曲の抒情的な旋律に載せて彼らの悲しい運命が綴られていきます。

戦時下でなければ…彼の戦死の誤報がなければ…彼らの運命はここまで狂うことはなかったのにと思いますが

それが戦争と言うものの起こす悲劇なのでしょう。

1950年代初期、龍神村で育った父が村の生活に別れを告げて、志を立て

一人神戸に出て寂しい心を慰めるためにこの悲しい映画に惹かれていった心持ちを思うと

映画の趣旨とは異なる意味で涙が込み上げてきます。

そして私も色々の思いを抱えてこの橋を渡ることになろうとは…不思議なところで親娘の人生が重なっていたようです。

しかし父の生前私はその重なりに全く気付きませんでした。

昨日は父の誕生日でした。

67歳にて肝臓がんのために亡くなりましたが、まさに私は父のその年齢。

生きていれば97歳。

今であればもっと父の労苦、思い出を共有する話が出来たのにと思いますが、今残るものは後悔ばかりです。