いつの時代も同じ思いなのかもしれません。
でも私達が生きてきた時代は多くの社会の習慣が大きく変わっていったと感じることが度々あります。
葬儀の行い方、結婚に伴う手順のありかた、等々。
こうした感慨は私だけのものなのでしょうか。
いくら社会が変わっても祖母や母から教えられた習いは消えることなく、私の中に従うべきものとして残っています。
教えられた事と社会が実際に行っている習慣とのギャップは年を経るごとに大きくなっているという思いは
お盆が来るたびに強くなってきます。
体調の不調らしきものが続いて、『今年はもうしないぞ。』と思いつつもその時が来るとやはり心がざわついて落ち着かれず
結局、ぼやきつつ毎年繰り返すこととなります。
私の中に従うべき規として生きているものも土地が変われば変わる筈。
だとすればどれほどに従わなければならないものなのか…。
私が教えられたのは13日の日にご先祖様が帰ってくる、旅の疲れをとるために素麺の軽いご馳走とお迎えのお団子をお供えすること。
14日の日はそれなりのお膳を調理すること、15日も同様。
そして15日旅立つ前に旅のお供としてお団子と素麺を再びお供えすること。
そしてこの3日間に調理したものすべてご先祖様のお弁当として持ち帰って頂けるよう海に流す事。
今はもちろん流すことが出来ないので、自宅の敷地の山に埋めています。
と言うことで前振りが長くなりましたがこれが今年14日に調理したお膳。
普段、あまりごはんもお供えすることがないのでその罪滅ぼしと言うことで形式より少し品目を多くしています。
一応教えられた通り、だしに魚系のものは使えないので数日前より干しシイタケをつけておいてだしを作り、そこに更にだし昆布を入れて使っています。
大きい方はご先祖様用、小さい方は両親用と思って作っています。これも正しいのどうか…
ご飯はもしかしたら少し少ないのかも…。
でもこんな面倒な事、いつまでも続くのでしょうか。
昔、母親が亡くなった時に
『10年間、学習塾を行ってきて運の良いことに世間的に成功し、それなりの貯蓄をすることが出来た。
その貯蓄があったがゆえに母親の看病に思いを残さず行うことが出来た。
でも私の人生の10年が母親の看病のためのものであったとしたら、あまりにも悲しすぎる、むなしすぎる。』
と訴えてある人に泣きました。この私の言葉を聞いたその人は
『君は母親の看病を母親のために行ったと考えているみたいだが、それは間違っている。
その看病は君は母親のためでなく、君自身のために行ったのだ。』
と私に諭しました。
その時にはなんと酷なことを、と思いましたが、
母親の看病に自身の力を尽くしたということが、私の中に誇りと自信となって残り人生の苦に立ち向かう支えとなってくれました。
今も先祖のため、両親のためと言うよりも自身のためと思いながら、自身が納得できる形で務めを果たしています…。