『丹生川上神社に行こう!』と突然に主人を駆り立てました。

医師にあるまじき考え方なのかもですが、結構神社詣でが好きなのです。

羽曳野から南阪奈道に入り、終点まで。

そして国道166号線、県道16号線そして県道220号線。

最終的に吉野郡東吉野村に至りました。

高見川の清冽な流れの傍に古式ゆかしい神社が鎮座しておられました。

当社は上社、中社、下社の三社巡りをしてくるつもりだったのですが、一番遠い中社で疲れを感じこの時は一社のみで帰宅しました。

  このような川の流れを前にして神社がありました。

  

  

  

 

   龍神が棲むと伝えられる滝つぼ

  で、ここからは私の雑念…勝手なことを、と読み捨てて下さい。

   此処を訪れた時に同じような風景をどこかで見たような気がしました…

    流れは非常に美しいのですが、田畑はあまりなく、農耕が行われた土地とは思えず、人の居住した地域とは離れているような…。

勿論、龍神が棲むのですからそのような地であるべきなのですが、でもどうしてこの土地に人々は最初に至ったのか???

 で、それとともに心の中に湧き出てきたのはどうして弘法大師があれほどに多くの場所をさまよったのか???

  それとも伝えられている彼の足跡はほとんど伝説なのか、事実ではないのか???

  私の思ったことは彼の足跡の幾許かは実在したものではないだろうか、ではどうしてあれほどにさまよったのか???

  霊場を探すため??でも同じ時代の最澄が比叡山延暦寺を京都から近いところに開いたのに…???

  政治から距離を置くために高野山である必要があったのか?

   しかし彼が高野山を至ったのは地元の神の助けがあったから、彼を高野山に導くために派遣されたのは紀州犬…。

  私が思うのは彼は何かを捜していたのでは?と言うこと。何か鉱物を…。

  丹の漢字の意味は赤い土、水銀と硫黄の混合したもの、不老不死の薬…。

  この神社の名にもこの漢字が使われ、弘法大師を導いた地元の神が祀られた神社も丹生都比売神社、この丹の漢字が使われた地名も随所に見られるし…。

とか考えつつ、神社参りを楽しんだのでした。