昔36歳にして京大の医学部に入った時、それ以前パソコンなど触ったこともありませんでした。

勿論今ほどにインターネットも普及していませんでしたし、携帯電話も使っている人と使っていない人と混在している状況でした。

私が入学した頃の京大医学部は基礎の講義の間は(臨床と異なり)学科によっては出席率が非常に悪かったです。

スポーツ活動のクラブに熱中している人もいれば(京大のアメフト、ギャングスターズが非常に強かったころです)、既に臨床の研究室にて自主研究をしている人もいました。

また、グループで自主勉強会を立ち上げて、アメリカの医師免許を習得するために学習している人もいました。

それとは別に教授の主催する外国文献の読み合わせ会に参加して、新しい知識を積極的に摂取している人もいました。

本当に何でも自分のやりたいことはできる雰囲気でした。

しかし残念ながら私は末期がんの父親を一人で看病しながら京大にて勉学と言う恐ろしい状況になってしまいましたので、

父親の看病、若干の父親の療養費及び自身の生活費を稼ぎだす家庭教師のアルバイト、そして京大の勉強の3役で飛び回っていました。

残念ながら責任の発生するようなものに参加することは到底無理でした。

できることと言えば学生だけで運営されているような強制力の弱い勉強会に参加できるぐらいでした。

でもそうした勉強会でも参加していると、当然ノルマが発生し、レジメ(論文の内容を要約したものや、勉強会で配布するために発表の要点を簡潔にまとめたもの)を作らなればなりません。

全くコンピューターを触ったことのない人間が、レジメを作って持っていかなければならないのですから、もう不可能を可能に変える所の騒ぎではありませんでした。

ブラインドタッチもできず、入力の仕方もわからず指一本でキーボード何とか叩きながら『ああでもない。こうでもない。』と一人でわめきながら仕事をするのですから

もし傍で見ている人がいたとしたら…

想像するだけで恐ろしい状況です。

それだけ苦労して幾晩も徹夜して文章を作り上げて持っていくと、自分の半分の年齢の人に『もっと整った読みやすい資料を作ってきてください。』と言われるのですから

その悔しさ…は半端なものではありませんでした。

『君達の倍以上の人生経験と世間知を私は持っているのだよ!』と心の中で叫んでも何の助けにもなりません。

『とにかく彼らと同等のコンピューターの知識を身に着けるしか方法はない。いつか鼻を明かしてやる!』と。

書籍を買い込んで必死で勉強しましました。

おかげで、簡単なプログラムは組めますし、ソフトもわかるようになりましたし、写真加工もできますし、

イギリスで一人でインターネットを下宿に導入することもできました。

色々の失敗を重ねて、コンピューターも初めはマックを二台、そのあとはウインドウズに変えてまずシャープ、そして東芝のダイナブックを数台…。

今はデスクトップ型のモニターとパソコンが別なタイプを完全に自分で使いやすいように注文して作ってもらっています。

で、今回数年ぶりに新機種を購入することにしたのですが、モニターを拡張型で2台置くのが仕事がやりやすくて好きなので、それが必須条件だったのです。

モニター1台だと開けている資料が見えなくなったり、開けた資料で肝心の仕事が隠されたりするので仕事(遊び?)の能率が下がってしまうのです。

ところが本当に数年ぶりの注文で、従来は常識であったのものが注文しなければならないものに変わってしまっていることに気が付かず

コンピューターのメモリの容量、等々さまざまに気を配ったのにモニターが一つしか接続できないのです。

で、目下製造元にメールで問い合わせ中…。

やっぱ、年齢とともに時代に取り残されているな…と実感。

  写真は昨年10月に訪れた桂離宮