さて昼食後、昼食場所のすぐ前にある西明寺から拝観の開始です。

西明寺

  平安初期834年三修上人が仁明天皇の勅願で開創。

戦国時代、織田信長が比叡山焼き討ちの際に幸いに国宝第一号としての本堂、三重塔、二天門が被害を免れる。

 (寺案内リーフレット、ホームページよりの抜粋)

説明も不要な参道(長かった!)、山門、本堂及び三重塔

池の情景、石組みの間にみられる石段の参道、もう膝ががくがくで…

  右の桜、不断桜と呼ばれる、彼岸桜の一種、11月初旬から花を咲かせるらしい

でもこの時期、桜より全山真っ赤に燃えるような紅葉を見たかったな、と少しため息。

金剛輪寺

 で、いよいよ最後の金剛輪寺…。

でも私的には1日に4個の寺巡りは多かったな。

この頃になると疲れて写真も意欲が落ちてしまって…。

奈良時代中頃、741年聖武天皇の勅願により行基菩薩にて開山された。

平安時代の始め頃比叡山より慈覚大師が来山天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となる。

戦国時代、織田信長の兵火に見舞われるも、当時の住職の機知により本堂、三重塔、二天門は難を免れる。

  (ホームページより)

時期が合えば、三重塔の辺り、「血染めの紅葉」が見れるらしいのですが、結果はタイトルの通り…

  この参道が特に印象深く、とにかく長かった…

右側の三重塔が本当であれば、血染めの紅葉が見られるはずなのですが、ご覧の通り…緑ばっかり。

で、金剛輪寺からはすぐそばにある湖東三山スマートICから名神に入り、5時半ごろ再び京都駅八条口に帰り着き

そのまま京都線、地下鉄、南海高野線と乗り継いで朝とは異なり問題もなく7時30分に河内長野に帰って来ました。

この日の印象はとにかく歩行距離は半端なかったです、それも石段ばかり…。

滋賀のお寺はやはり叡山の影響が強く叡山とともに歴史を紡いできたのだなと、

そして叡山が見えるように山の高いところに寺を築いてきたのだな、と感じました。

やっと、終わった。しかし紅葉狩り未消化なので今週末、雪辱戦に京都に出かけます♪