昨日、ちょっと不思議な事がありました。

本当に何でもないことなのでしょうが、私的に少し不思議に思えたので…。

乳癌が発見されてから今月の末でまる4年になります。

もう4年か、早かったな、という思いと、これからも続くであろうと思われる果てしない戦いを思うと戦慄する思いもあります。

12月末に自身で発見して、『まさか、よもや。』と思いながら京都に飛んで行ってそして明けて1月中旬に乳癌の確定診断。

この時点ではステージはⅠAからⅡAの診断で、2月早々に手術が予定されていました。

そしてPETにて乳癌が胸部リンパ管の本管に入っているのが発見され、一挙にステージはⅢCに。

思いもかけない診断に死を覚悟しました。

しかしこの時点ですら自覚症状は全くなく、体調も何ら問題なかったのです。

手術の前に、体の中に飛び散っているやもしれない癌を取り除くために強烈な化学療法が始まりました。

  それは副作用に苦しむ日の始まりでもありました。

治療の前にはどこも悪いところはなかったのに…、体の中に体を蝕む癌が存在していようとも。

症状が現れてから治療をしても、効果不十分なことは十分にわかっているのに…、知識として。

でも自身が味わう苦痛を治療の前の何もない状況と比べた時には不安と疑問と、自身の選択が正しかったのか、

と自問する日々でした。

主人は私の苦痛を見ていられなかったのでしょう、「化学療法を辞めたら。」と言ってきました。

しかし、それに対して

「少なくても医師として仕事をできているのは京大で習ったことのおかげ。それを私自身が疑うとしたら私は医師として仕事をしていくことはできない。

治療をやめるということは私自身の立っている基礎をなくす事。」

と傲慢にも言い切って走り続けました。そして4年…。

この間にどれほどの症状を経験したでしょう。

頭髪、眉毛睫毛の喪失、鼻涙管の閉塞、下痢便秘の繰り返し、手指のしびれ、足底の感覚異常、心機能異常、甲状腺機能異常、脊髄圧迫骨折…。

そして今また新たに糖尿病……???

人間って弱いものであまりにも耐えがたい重みばかりが襲ってくると最終的に行き着くのは神頼み…。

と言うわけで前振りが大変に長くなってしまいましたが、昨日天川村に出かけようとしていたのです。

 みたらい渓谷とか天川大辨財天社とか…

みたらい渓谷に沿った遊歩道でも少し歩こうかと考えていたのです。

いつもの様に橋本まで下りて、そこから京奈和、そして五条で京奈和を降りて、370号線から309号線で至る、と言うルートを考えていたのです。

ところが京奈和を降りたあたりから微妙な尿意を感じ始めました。

心臓が弱っている関係で利尿剤を服用しているので突然そうしたことが起きるのです。

『そのうちにコンビニか喫茶店でもあるでしょう。』と考えていたのですが、それらしきものは全くなく山道のみ。

次第に『やばい。やばい。』と思い始めましたが、全くそのすべなく、切迫感のみ強くなる。

薬で無理に尿を排泄させようとしているのだから、当然予想できた事態でもっと早く手を打っておくべきだったのだけれど…。

それをしなかった私が悪い!!

でももう非常にやばい状況になり、ふと道の傍らに見たのは先日行った丹生川上神社への道を示す看板。

『もうこれしかない!』

で、主人に脇道にそれることを指示して、もう本当に危ない状況でかろうじてトイレに飛び込みました。

そして、ふと

『何か、呼ばれたのかな????』

と。

それだけです、お粗末なお話ですが…。