ジブラルタルについて継続して書いて行きたいと思います。
読んでいただいてる方の中には
『いつも一つのトピックでだらだらと引っ張るなよ、まとめて要約して書けよ。』
とお考えになっていらっしゃる方もおありかと思いつつも、
いろいろと背景も説明したいとか考えてしまいついつい長くなっております。
どうかお許しください。

これはジブラルタルを出航する際に、船上からジブラルタルのイギリス領を眺めている写真です。
写真からもわかるように超過密に高層ビルが立ち並んでいます、それと山が急峻に海岸に迫り平坦な土地がほとんどないのです。
この急峻さは

この写真を見ていただくとなおさらにご理解頂けると思います。
そして写真からも認められるように頂上に軍事施設があり、その部分には当然に立ち入ることはできません。
写真の向こうに微かに見えているのはアフリカ大陸です。
前の海がジブラルタル海峡となります。



このピークの一つにはケーブルで上ることが出来ます。
左側がそのケーブル写真、中央がケーブルで上がった所で記念撮影の私(しかしこの頃非常に太っていた…イギリスの食事のせい?)、
後ろはアフリカ大陸…もう一度アフリカ大陸を見ることがあるのだろうか?とこの時心の中で考えていました。
と言うより『とんでもないところまで流れてきたな…日本にいつか帰ることが出来るのだろうか??』
と若干不安になっていたりもして
そしてなぜこんなピークにケーブルで上るのか、それはこのピーク内がイギリスの遺跡、或いは功績を伝える場所となっているからなのです。
それを伝えるのが右側の写真、great siege tunnels(大包囲トンネルで訳はいいのかな?)のトンネルの入り口。
このトンネル内で繰り広げられていたのは…






と言うことで完全なイギリスの軍事基地だったのです。
一生懸命に働く兵士の横で、将軍或いは提督が食事をしている情景も興味深いです。
この地域の戦闘で特に有名なのは1805年のトラファルガー海戦です。
ナポレオン派遣するフランススペインの連合艦隊に対してイギリスのネルソン提督が勝利を収めた戦いです。
イギリスの戦列艦27隻フリゲート艦4隻に対して、
フランススペインの連合軍は戦列艦33隻、フリゲート艦8隻だったので、
ほぼイギリスは二倍の戦力を保持するフランススペインの連合軍と戦った、と伝えられています。
戦争が終わってみれば、イギリスの死者449名、負傷者1214名に対して
連合軍側死者4480名、負傷者2250名、捕虜700名の結果でした。
結果、ナポレオンのイギリス上陸が阻止されました。
この戦いの中、ネルソン提督はフランスの狙撃手により命を奪われました。
通常は水葬となるのですが、
偉大なる功績ゆえに彼の遺体はアルコールの樽に詰められてイギリスに送られイギリスで葬られました。
今もセントポール大聖堂に眠っています。
狙撃手に狙われることを予想しながら、陣頭指揮に前線を動き回ることをやめなかった彼、
自身の死すら予想する言葉を残していたと言われます。
その樽の模型…

開戦前の彼の言葉
England expects that every man will do his duty
(英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)
は私も好きな言葉です。
国が自分の対して何をしてくれるのかではなく、自分が自身の国を守るために責を果たす…。

ジブラルタル海峡に降り注ぐ日の光です♪
激しい戦い、多くの死を見つめてきた海です。この写真の静けさからはそのことを想像するのは難しい事でしょう。
まだ、猿が出てきていませんので、もう少しジブラルタルお付き合いください。
追記;私が主人とネルソン提督の言葉について話していた時、主人が昔語りをしてくれました。
彼が7歳か8歳ぐらいの時、学校でいたずらをしてそれを校長先生に見付けられたそうです。
で、校長先生は彼の後ろ襟首を捕まえて一枚の絵の前に連れて行き、絵の下に書かれている言葉を音読するように言ったそうです。
絵はネルソン提督そのものではなく、彼の活躍を伝える艦船であったが…と。
勿論、その言葉は『英国は各員がその義務を尽くすことを期待する。』で、彼は終生この言葉は忘れられないだろう、と語り。
そのあとはいたずらの罰として長い階段の雑巾がけをさせられたと。