行方不明となった彼をあきらめ、母は父と結婚することになった。

こうした昔語りを母から聞きながら、祖父母は結局母を自分達の手元に留めておきたかったのではないか、私はこの母の話から当時の祖父祖母の思いを感じることができる。母の交際相手は大阪豊中市のさる家の長男であった、とのことであった。その家に嫁がせてしまえば母を祖父祖母のための労働力としてあてにすることはほとんどできない。長姉とは異なり、幼少時より祖父母の苦労を理解し、実家のために働いてきた母であった。小学校で学習しているときでさえも、祖母が母を連れ出しに来て祖母、母ともども教師から叱られた、との話を私は聞いたことがある。『頭の良い子なんだから、もっときちんと勉強させてやってくださいよ。』と教師は祖母をしかりつけたという。しかし戦後の混乱期で労働力の不足は如何とも対処の方法はなかった、と祖母も母も語る。奈良県五条市の大きな材木問屋の一人娘として女中付きで育った祖母に重労働をこなすだけの体力はなかった。なくなる直前まで祖母は美しい人であった。長い白髪のない黒髪をいつも美しく結い上げていた。そんな祖母を祖父は本当に大事に扱っていた。勢いそのしわ寄せは動かしやすい子供に来た。その一番動かしやすい子供が母であった。そうした祖父母、御坊の家の状況などを考えると、当初から大阪の人との結婚はあり得なかったことのように思える。祖父祖母にとってはせめて在所の人との結婚が妥協できる最大の譲歩ではなかったのだろうかと、思われる。在所の人であればせめて祖父祖母にとって今ほどでなくてもそれなりに接触をとり、労働力をあてにすることはできる。しかし母は在所の人との結婚を拒否していた。

  『みっちゃんは全く家の仕事を手伝わなかったから在所の人の受けが悪くてね。全く縁談の話は来なかったの。でも私はとっても働き者だということで断るのが困るほどの縁談が来ていたの。でも私は田舎暮らしそのものがいやだったの。有田の叔母の家からもうちに来てくれと話が出ていたけれど、叔母の家に嫁ぐと兄弟姉妹が多くて面倒を見さされそうだからいや。と返事をしたのよ。そうしたら叔母怒っちゃってね。で、代わりに私のすぐ下の千栄子が嫁いだのだけれど、その時は花嫁装束に船で長持ちなどを載せてとってもきれいだったな。でもお産で彼女が亡くなってしまって。もともと体の弱い子であったから。叔母もそのことは知っていて弱い者同士支えあって生きさせます、なんて千栄子をもらいに来た時に言っていたのだけれど。』私が顔も見たことのない千栄子叔母は出産後トイレに行き、崩れるように倒れそのまま死亡したという。なぜか母の家系には心臓病を疑わせるもの、喘息に苦しむもの、そして癌により短命のものが多かった。

  一方父の側は100歳を超える長命のものが多かった。祖父も96歳まで生きていた。この点が夫婦喧嘩を始めた時に財力でかなわない父が母を攻撃する点であった。父は『血が汚れている。』という言葉で短命のものが多い母の家系を表現した。この言葉に母はいつも激高した。しかし母との結婚前、父はそんな性格的な難しさをおそらく祖父母の前にさらしたことはなかったであろう。叔父の前ですら。当時父の根拠地は堺市であったから、田舎で生活したくないという母の希望にも合致するものであったし、何よりも結婚後も母を実家のためには手放したくないという祖父母の執着にも合致していた。そのそれぞれの我欲の前では結核の既往などということは単なる口実であったろう。そして父と母の結婚は決まった。

 ところが結婚の直後、私を身ごもった頃に父親が仕事中に電信柱より転落し、重傷を負ったのである。生命さえも危ぶまれた状況であったが、とにかく長時間の手術後生き延びることはできた。しかし両親は貧のどん底で暮らすことになってしまった。それから3年間父は全く働くことのできない入退院を繰り返す体となってしまったからである。祖母は『こんなことになるのであれば好きな人と結婚させてやればよかった。親が結婚を決めて却ってあの子をみじめな状況に追い込んでしまった。好きな人と頑張る生活であれば貧しさも少しもつらくは ないであろうけれども、好きでもない人とこんな大変な苦労をすることになってしまうとは。すべて私たちが悪いんです。』と泣いたという。

 約3年間の苦しい貧の生活の中で何歳であったのか不明であるが、かすかに私の記憶に残っていることがある。それは祖母と母が行ったある特殊な外出を父に叱られている光景である。この外出は母の交際相手であった人と母と縁戚関係に当たる女性との顔合わせのためであった。勿論彼らの婚姻を見据えたものであった。母の交際相手は父と母の正式な顔合わせ以来、行方不明となっていた。自暴自棄となったその失踪の間に内縁関係のままある女性と同棲生活をしていたようである。しかしある日突然御坊の母の実家に母の消息を聞くために姿を現した。そこで祖父母は母の縁戚関係にある女性との正式な婚姻を彼に勧めたとのことであった。この女性は彼女自身に何も問題がなかったし、彼女の実家も祖父の家より豊かな大農家であったが、彼女の父、及び祖父が起こした問題により在所の人と婚姻することがほぼ不可能であった。彼女の祖父と母の父が従兄弟にあたる関係であり、孤児であった祖父はほぼ兄弟同様に彼とともに育ったことから彼女の将来を心配していた。大阪に嫁ぐのであれば彼女の父たちが起こした事件も問題ないであろうとの祖父の判断であった、とのことであった。それに対し、母の交際相手は『みえちゃんと親類になり、そばで見ていることができるのであれば、結婚を承諾します。』と返事をした、とのことであった。そして大阪のどこかの駅で顔合わせと言うことになり、母と祖母が会合のために出かけた。この時のことを母は『やはり縁があるって不思議なものね。私はあんなに長い間彼と付き合っていたのに人ごみの中の彼を見つけられなかったの。でもね、かずちゃんは『みえちゃん、あの人じゃない。』って全く初対面なのに彼を私よりも早くに見つけたの。やっぱり、ずっと私が何となく感じていた私達には縁がないのではないか、と言う気持ちがやっぱり間違いなかったのだと感じたのね。』その顔合わせの際に母は私を抱いており、彼はそれを見て『もうこんなに大きな子供がいるんだ。』と驚いていたとのことであった。その後、彼は長年の年月の間祖父が結び付けた縁戚関係を利用し、彼の妻の里帰りの際に母の実家に姿を現し続けた。目的は母の消息を確認するためであった、と言う。

母が貧しい時も、豊かになりつつあった時も。聞くのが辛い話もあったことだろうに彼は祖父母の家に姿を現し続けた。