5月2日(金曜日)は平常の通り診療を行います。

5月3日(土曜日)から5月7日(水曜日)まで休診となります。

通常日曜日の午前は診療を行っていますが、今回は祝日(みどりの日)となっておりますので休診となります。

こちらの写真は

オーストリアのザルツブルクと言う町です。

この町はモーツアルト生誕の地として有名です。

私がこの町を訪れた時、モーツアルトの生まれた家も

見学コースに入っていました。

彼の古い楽譜などを見学した記憶があります。

この町にあるもう一つの観光地として有名なのはミラベル庭園です。

このミラベル庭園は有名な映画サウンドオブミュージックのロケが行われた場所として知られています。

子供たちがマリアとドレミの歌を歌うシーンは多くがこのミラベル庭園で撮られたものです。

上記3枚がミラベル庭園で撮られた写真です。

映画のシーンを思い起こされる方もいらっしゃるかもしれません。

この旅行は父が肝臓がんの手術後、そして私が京大に入学する前年でした。

父も母も全く国外に行ったことがありませんでした。

母は行くことができないままに亡くなりましたが、父は何とかして連れ出したいと思いこの旅行を計画しました。

地元で父を見ていた主治医は私の企てを無謀なことだとおっしゃいましたが、国立がんセンターの主治医、父の肝臓がんの手術を行って下さったドクターは

『今行かなければ、おそらく行くことはできないだろう。』と私の背中を押してくださいました。

父と喧嘩をしながらの珍道中となりましたが、それも今となっては良い思い出です。

高台よりザルツブルクの街を背景に父と私です。

 

この『サウンドオブミュージック』のストーリーは実話で、マリアにより書かれた本がもとになっています。

大筋は映画のストーリー通りですが、細部は異なるものがあります。

例えば、彼らが財産を失うのは映画の中では亡命する時ですが、彼女の本ではその前

1933年のオーストリアの金融恐慌の際と記述されています。

財産を失った後も一家は従来の豪邸に住んでいました。

貴族としての誇りを捨て生活のために豪邸に間借り人を置き、

既にこの時家族結成の合唱団で収入を得ることを計画しています。

これらのことはマリアの主導で行われたようです。

1938年オーストリアがドイツに併合された際に

たまたまアメリカから彼らの合唱団に講演依頼を受けていたことを契機としてアメリカに渡ることを決意します。

汽車を乗り継いで、スイス、フランス、イギリスへと渡り、

イギリスサウサンプトンから(私がクイーンエリザベス号に乗った港です)船でアメリカに向かいます。

ですので映画のラストシーン、マリアと大佐と7人の子供たちが

ナチスの支配下になったオーストリアから自由を求めて徒歩で山越えをしてスイスに亡命していきます、

はなかったわけです。

 ちなみに映画を見られた方にとってはさらにがっかり情報かもですが、

あの最後のシーンのロケーションの行われた場所からすると、

あの山を登り続けて至るのはスイスではなく、なんとドイツ(!)だそうです。

でもその種明かしを聞いてもやはり私はあのシーンがとても好きです。

彼女の本当の人生は映画よりも波乱に満ちたものだったとされています。

25歳の年齢の差のあった夫婦は今はともに安らかにアメリカに眠っています。