もう一月前の事になりましたが、6月4日弾丸旅行の全体は…。

朝の5時半に自宅を出発。

国道480号線をひたすらに南下して、かつらぎ西より京奈和道へ。

そして阪和自動車道に入り上富田インターまでまた南下、国道311号線の東向きに走行。

熊野古道中辺路ルートと並行して走る国道を利用してまず至ったのは湯の峰温泉。

 湯治場、風景…

左写真の左に移っているのは湯筒。

この中に卵、トウモロコシ、などの野菜を入れると

90度を超える源泉で美味しく茹で上がります。

 湯筒に卵を沈める時…。湯音が90度超えなので、お湯に触ると火傷をしてしまいます。いつも先にネットの袋を沈めゆっくりとその中に慎重に卵を落としてゆきます。

  今回、一つ中で割れて、一つ袋に入れ損なってしまいました。ですが、最終的に固ゆでの温泉卵ができました。

さて、温泉卵を食べて次の目的地に向かって出発!

さて、湯の峰温泉から熊野川沿いに新宮に…

 

熊野川景観、川の水の色は美しい青緑色です。昔、中学生の頃に両親と瀞峡巡りをしたことがあります。

そして前のブログに載せていたように神倉神社、538段の石段は登ることができなかった、と書きました。

新宮で神倉神社に参拝し、写真も撮り、さて海岸沿いを北上して今度は那智勝浦に…。

那智勝浦に行った理由は補陀落山寺について学習するため。

そのあらましは宗教の海、補陀落渡海として書きました。

そして次の目的地は田辺市…。ここに行く理由は闘鶏神社を訪問するため。

田辺市にある闘鶏神社、ご存じの通り平家物語に書かれている神社です。

ここについてはまだブログに載せていませんでした。

本日の主目的はこの闘鶏神社について書くことです。

闘鶏神社についてまず認めていくと…

  419年に創建されたと社伝には伝えられているそうです。

 やはり土地柄的に熊野信仰の一翼を担い、闘鶏神社に参詣、祈願することで熊野三山参詣に替えることができるとのことで

別宮的存在であったそうです。

 そして再び歴史のスポットライトのもとに登場するのは源平の合戦、壇ノ浦の戦いの時、

源氏、平氏の両軍から熊野水軍を協力を求められ、どちらに着くかを決めるため熊野別当湛増は赤い鶏、白い鶏を神前にて戦わせます。

結果は白側鶏の全勝。源氏に着くことが決定されます。

熊野別当湛増は武蔵坊弁慶の父であったとされています。

  

武蔵坊弁慶と熊野別当湛増,二羽の鶏

 田辺は武蔵坊弁慶の誕生の地として伝えられています。

比叡山で修行し、京都五条の橋で源義経と出会います。

義経が兄源頼朝の勘気を蒙った後も、配下として支え、奥州平泉衣川の戦いにて立往生にて絶命します。

こちらが中尊寺にある弁慶が立往生にて戦死した土地の記念塔です。

(しかし、背景が…今さら如何ともし難いし)

弁慶と義経の平泉への旅を偲ばせる思い出の地がたまたま大学時代生活した金沢の傍にありました。

昔、特急列車雷鳥にて大阪と金沢を行き来していた頃、金沢の一つ手前の特急停車駅に小松市と言う街がありました。

この市内に安宅町と言う海岸沿いのエリアがあります。

そうです。歌舞伎で有名な勧進帳の舞台となった地です。

これが小松市の海岸にある勧進帳の場面の彫刻です。

左から義経、中央は弁慶、右に関所守の富樫。

   海岸にこの像はあるのですが、実際の場所ははるかに海の中…つまり日本列島が南に動いているから、と地元の人に説明を受けました。

あと、闘鶏神社の点描です。

これで、南紀弾丸旅行は終わりです♪