ゴシントンホールに到着すると、マープル嬢はマリーナの夫に面会を求めます。
召使が次々と変わり、面会を拒否し、謝罪を口にしますがマープル嬢は引き下がりません。
『バドコック夫人の夫も殺人容疑で拘置されている状況です。至急にマリーナさんの夫に会う必要がある。』と主張します。
『本日は取り込んでいて会うことは不可能です。』との召使たちの答えに対しても『お会い頂けるまで待たせて頂きます。』と彼女も引き下がりません。
召使が口にします。
『昨夜、睡眠中にマリーナ様がお亡くなりました。』と。残念ながらその答えもマープル嬢を驚かせることはありません。
そして、マリーナの夫がとうとう姿を現します。そして警察とマリーナの夫を前にしてマープル嬢の口から事件の全貌が語られて行きます。
あえて今回詳細に書いていなかったのですが、バドコック夫人がマリーナに最初に会った時が問題なのです。
その時に起きたことを、バドコック夫人とマープル嬢の会話としてクリスティーは小説の最初の部分に短く書いています。
これがこの小説のこの後起きることの大きな伏線となっていたわけです。
それはバーミューダで野戦病院のための基金を集めるためのショーが開かれた時のことです。
マリーナはそのショーの幕開けを努めました。
バドコック夫人は彼女に会えることをとても楽しみにしていたのですが、その日に病気になり発熱してドクターにベッドに留まる様に言われていました。
しかし彼女は諦めませんでした。気分もひどく悪いわけではなく、起きだし、厚化粧で湿疹を隠し、マリーナに会いに行ったのです。
マリーナに紹介され、三分ばかり話をし、サインをもらったのです、それだけのことでした。
バドコック夫人の記憶には印象深い出来事として生涯の思い出でしょうが、マリーナにとってはなんということもない記憶には残らないファンとの出会いに終わるはずでした。
しかし不運だったのはマリーナがこの時に妊娠の初期であり、バドコック夫人の病気が風疹だったことでした。
そしてマリーナは待ち望んでいた子供を出産するも重篤な精神遅滞児だったのです。
ドクターから彼女が妊娠初期に風疹に罹ったためだと、遺伝的なものでないと説明を受けました。その説明はマリーヌを励ますためだったのでしょう。
でもマリーヌにとってはつらい事実でした。彼女はそのショックから立ち直ることができなかったのです。
勿論、どこで彼女が風疹をうつされたのか、だれにも分かりませんでした。
しかし、あのパーティーの時にはバドコック夫人は得意気に病気にも関わらずマリーナに会いに行った勇気、実行力、そして化粧で病気をごまかして成功したこと、
その自身の知力を誇って笑顔でマリーナに語ってしまったのです。
視点を変えてマリーナから見ると
自身を不幸のどん底に落とし込んだ人物がそのことを勝ち誇って語っているのです。
彼女の子供の不幸、自身の精神的病気の原因を作った人物、そしてそのために中断された自身のキャリア、すべてがこみ上げてきた時、
マリーナは彼女を殺すことを発作的に決心したのです。
それが聖母子像を見守る彼女の絶望的な表情の理由でした。
そして自身のカクテルグラスに自身が服用している精神安定剤を大量に入れ、バドコック夫人のグラスを意図的に落とさせ、致死量の睡眠薬の入った自身のグラスを代わりに与えたのです。
その後の殺人はマリーナが自身を守るために起こしたものでした。自分が標的になっているという手紙を自身で作り上げ、何とか罪を逃れようとしました。
しかし、それをするには彼女は精神的にあまりに弱く自身を守るつもりで、自身を毀していきました。
彼女の夫は最初から彼女の殺人であると気付いておりました。マリーヌとバドコック夫人の会話を横で聞いていたので…。
彼はマリーナを守ろうと必死でした、そして狂気のマリーナから周りの人間を守ることにも努力しました。でも毀れている彼女はもう止めることはできませんでした。
もはやあまりに苦しんでいる彼女を救えないと彼は思ったのです。
これらの話を終わらせた後、マープル嬢はマリーナに会わせて欲しいと彼女の夫に頼みました。
安らぎ穏やかに眠る彼女のそばでマープル嬢は最後に口にします。
『このかたにとっては非常に幸運だったわけですね―過量の睡眠薬をおのみになったのは、死だけがこのかたに残されたただ一つののがれ道だったのですから。
そう―過量におのみなったのは幸運でしたわーそれとも―誰かに与えられたのでしょうか?』
二人の目が合ったが、彼は何とも答えなかった。



若干の私的追記
イギリスでは現在死刑は廃止されています。
イギリスの死刑の廃止は1969年にイングランドなどの3地域で適応され、1998年に北アイルランドでも廃止され、
イギリス全土完全廃止に至りました。
それ以前にはイギリスは死刑は多い方で、殺人罪の場合はほぼ死刑に処せられていたそうです。
そのためにクリスティーの小説では犯人が最後には自殺することが多いように思います。
アガサ・クリスティーがこの小説を出版したのは1962年のことで、そんなに早くにイギリスで風疹の胎児への危険性が知られていたのは驚くべきことです。
日本のデータを調べると先般も述べた通り、1976、1982、1987、1992年に大流行があり、
1970年代後半には特に先天性風疹症候群の患者と人口流産率の増加が顕著に記録されています。
それ以前のデータはあまり一般的ではないようです。
そして2012年 - 2013年、2018年 - にかけて、成人男性のワクチン未接種者を中心に、風疹の大流行が発生しています。
こうしたことが今回の政府補助による成人男性へのワクチン接種への奨励となったのではと思います。
いずれの方も全く悪意なくバドコック夫人の立場になるかもしれないこと、それに気づいて頂きたく今回このクリスティーの小説を取り上げました。
参考;ハヤカワ・ミステリ文庫 鏡は横にひびわれて アガサ・クリスティー 橋本福夫訳 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト |