乳癌が分かった時に友人の一人から慈尊院の乳がん平癒のお守りを頂きました。
早いもので今年の12月が来ると、発病以来5年となります。
当初、自身で発見したしこりは比較的小さいもので、ステージⅠ、ⅡAと診断されるのではないか、
と予想されていました。
が、手術の直前のPETで思いもかけずリンパ管本管に入っているのが診断され、
ステージはⅢCと決定されました。
自身が習った乳がんの知識ではステージⅢCでは半数以上は5年以内に死亡とのことでした。
勿論私が医学生だった頃からは長い年月があり、医療も進歩しているでしょうが…。
ですが自身の死を覚悟せざるを得ない状況でした。
ですが、ドクター方々のお骨折りにより、そして多くの方の励ましの言葉により何とか
命永らえ、五年を迎えることができました。
この期間には、望み果たせず亡くなられた方もあり、再発された方もあり、
自身の幸運を誇る気持ちにはなれません。
ひとえに運が良かった、或いはこんな私でもまだ人生に残された仕事があるのかもしれません。
5年が事無く経過しようとしている今、
あの頃リンパの本管を流れ、私の体のどこかで息をひそめていた癌細胞は、
強力な化学療法のために駆逐されたようです。
あの頃の病巣からの再発は恐らく大丈夫であろうという状況と考えられます。
これからは新たな乳がんを警戒する五年間を過ごすこととなります。
一時は肺への転移を疑われ、ある時は骨への転移を疑われ、
やはり牙を剝いてくるかと恐れたこともありましたが、結局の所それも杞憂に終わりました。
勿論、治療の強力だったがゆえに失ったものは数知れずありますが…。

慈尊院…です。
慈尊院、ご存じの方は多いと存じますが、弘法大師の御母堂の住まわれたお寺です。
明治時代の初期まで高野山は女人禁制だったために、
弘法大師のお母上と言えども山内に生活することはできませんでした。
そこで母上はこの地に生活され、
弘法大師が月に九度お母様を訪ねてこられ、そのことがこの地の地名の縁起になったと言われています。
左は寺にかかる扁額…。

女人高野:高野山が女人結界だった関係で女性は参ることが許されず
代わりの参詣を果たしたのは九度山の慈尊院、宇陀市の室生寺、河内長野市の天野山金剛寺の三寺院でした。

