赤山禅院から曼殊院へは徒歩で移動することができます。
去年、さんざん訪問した修学院離宮の前を通って南向きに歩き始めました。
曼殊院門跡寺院、延暦年間(782~806)に伝教大師最澄により鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが始まり。
有名なのは1656年八条宮智仁親王の第二皇子良尚親王が、現在の地に移築造営されたのが現在に伝わる曼殊院門跡寺院です。
八条宮は桂離宮を造営された方であり、学問文芸に素養の深い方であったから、良尚親王もその薫陶を受けて当時一線に立つ芸術人だったと思われます。
邸内は色々に意匠を尽くされ、展示品も秋の特別拝観のために織田信長とか豊臣秀吉、徳川家康の直筆手紙など展示されていたのですが、当然写真に撮ることは許されず。
庭の写真のみです♪

こちらが位の高い方がお越しになった時の
お車寄せ。
誰だ?こんなものを写真に撮ったのは…。
きっと、日本語の読めない主人の仕業…。
何か大事な断り書きとでも思ったのだろうな、と解釈。










というところで曼殊院から詩仙堂に再び徒歩にて移動…。
その前に曼殊院と言うと有名な幽霊の絵があります。展示の本筋ではないのですが興味深い絵です。
もし、曼殊院門跡寺院、見学される時にはお見逃しない様に…。
詩仙堂に至りました。
もう、無茶苦茶に混んでいました。
庭の写真のみです。



余りの人の多さに肝をつぶしてほうほうの体で逃げ出して夕食を予約していた割烹に出かけました。
割烹 やました
京都大学の医学部を卒業して以来のお付き合いなので、もう25年以上です。
昔はたくさん食べることもできていましたが、年を重ねて一度に食べる量も少なくなってしまいました。

先付と軽い汁もの…
汁物は麩と食用菊だったのだけれど、黄色が綺麗に捉えられていない…。
と思ったら別の写真に綺麗に捉えられていました。
右の写真の右上はてっさ






右からタラの白子の焼き物、中央はトラフグのから揚げ、右は伊勢海老とアスパラガスの焼き物

野菜物は海老芋の炊き合わせ、最後に伊勢海老の味噌汁…。

主人は果物の盛り合わせを頼んでいたけれど、私は無理!!
本日、ほとんど食事らしい食事をしていなかったので、満足して河内長野に帰りました。


