母の葬儀の次の日、私は父に内緒である病院を訪れた。
それは父に『奥さんの事が一区切り着いたら、入院した方が良いよ。』と語ったという病院でした。
その言葉の意味を確かめなければ、と考えたのです。
まず自身の火傷でただれた手を見せてこれを診察してもらいたいのだと、診療を申し込みました。
母の看病の日々で、体の清拭のためにかなり熱い湯を用いたがために生じた火傷でした。
ドクターは私に水仕事の時には手袋を使うようにと指示し、軟膏を処方してくれた。
しかしそれで私の目的が終わったわけではなかった。
もっと大事な用がある。
彼と会ったのは初めてであった。
彼の妻を通して、父に洗濯の依頼が継続的にあったことは知っていた。
しかし、それ以外私との接点はなかった。
私を信頼してくれるのかどうか、全くわからなかった。
少し声を震わせながら、自身を名乗り、言葉を続けた。
『こんな未熟な女の子にと思われるかもしれませんが、今母を看取った所で私にもそれなりの覚悟があります。
唯一の子供として、もし何か重要なことがあるのであれば私に教えて頂きたいのですが。』
彼は少し私の顔を見て、口を切った。
『お父さんは癌だと思うよ。』
この言葉を聞いた時、もう一度あの壮絶な看護の日々を繰り返さなければならないのか、と瞬間思った。
しかし、私しかいない、そして今度は本当に多分一人でこの難局に取り組まなければならない。
そして、そのためには確認しなければならないとも思った。
『間違いなく、癌なのですか。』
『今の所、確定ではない。しかし肝硬変は間違いないと思う。』
『肝硬変があるのであれば、常にそこから癌が発生してきますね。』
この私の言葉にドクターはじっと私の顔を見つめた。
その時間は果てしなく長く思われた。しばらくして彼は絞り出すように答えた。
『そうだ。』
最後にもう一点気にかかっていることがあった。
『有難うございます。このことは父は知っていますか。』
『何も知らない。唯入院しなければならないとしか説明していない。』
彼に謝意を述べて病院を後にした。
これからどうすべきか、疲れ切った体に鞭打って何ができるのか、車を運転しながら考えた。
母の死の直後に父が癌に罹患していることまで見つかるとは全く予想していなかった。
しかしやはり私が動かなければならない、『まず、癌か肝硬変か否かの確定診断。』
そのためには口惜しいが母が亡くなった病院に託すしか方法はなかった。
家に帰り着くとすぐに、訪れたばかりの病院に電話をして病院への紹介状を依頼した。
再び入院を渋る父を説得して、入院の運びとなった。
母の入院、その後の父の交通事故の入院、そして母の転移による入院、母の最期の入院、そしてまた父の入院、短期間の間に何度入退院を繰り返せばよいのだろう。
どこまで、不幸の連続は続くのだろう。
頑張っても、頑張っても追いかけてくる。何か私達家族は間違ったことを行ったのだろうか。
馬鹿馬鹿しい問いだがそんな愚にも着かない質問が心に湧いてくる。
でも、そんな馬鹿なことを考えていてはいけない、と自身を奮い立たせる異なる自分も私の内にはいたのである。

