七條甘春堂(しちじょうかんしゅどう)を出て、七条通りを西へ。七條駅に至り、京阪電車で三条に。

 三条駅で京都市営地下鉄に乗り換えて東西線で烏丸御池、ここでまた乗り換えて今度は烏丸線で北大路駅まで。

 北大路駅からは短距離だけれどタクシーを使い、目的地は大徳寺。

3番目の訪問場所に大徳寺を選んだ理由はやはりその歴史に惹かれた所が多い。

大徳寺の草創期、後醍醐天皇がかかわっていたために室町幕府より冷遇されたことがこの寺の歴史の始まり、

と私の理解が始まる。

中興の祖として一休宗純が登場、応仁の乱で焼失した建物を再興することに尽力、その後、本能寺の変で自刃した織田信長の葬儀が豊臣秀吉により大徳寺で行われ、

  (って織田信長の遺体は確認されていないのだけれど…)

織田信長及びその子らの供養塔が建立される。

江戸幕府三代将軍徳川家光に重く用いられた沢庵宗彭により寺の繁栄の時期を迎えることとなる。


文化的なことで興味深いのは茶の湯の創始者千利休との関わり。

大徳寺は22の塔頭(たっちゅう)より成る。

 塔頭;禅宗寺院の大寺院の中で小僧院の形をとるもの。その門派の中で独立として一寺の様に見える形態をとるもの

  加えてその中には47茶室があると伝えられる。

   千利休は山門を修復した後、草履姿の自身の木像を山門の上に置いたことが秀吉の怒りを買い、後の千利休の切腹につながったとも伝えられる。

      (この木像が見られるかと少し期待していたんだけれど…ダメでした)

そして大徳寺内の塔頭の一つ聚光院(じゅこういん)には千利休の墓所の他、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家の墓所があると伝えられる。

と言っても知識として知っているだけで、塔頭のほとんどは一般公開されていないので残念ながら確認したことは…。

でも名前でしか知らない偉人の足跡を自身の足で踏みしめるのは本当に感動すること、と言うわけで今回の訪問場所に大徳寺を含めた。 

しかし、臨済宗の総本山、いかにも地味過ぎた。

植栽はほとんどが松の樹。

塔頭から塔頭へと続く素朴な石畳。

主人にとっては面白味の無い場所だったかもしれない…(´;ω;`)ウゥゥ)。

 

勅使門ですら、ご覧の通りの地味さ…。

   (wikipediaより)

今回特別公開していたのは…大徳寺法堂と経堂。

  詳しくは「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 法堂・経蔵|【京都市公式】京都観光Navi

を参照下さい。

これが大徳寺法堂、天井の龍の絵は狩野探幽35歳の時の作品。

 主人に見せたかったのはこの龍の絵。

中心で手を叩くと答えて龍が泣くことから『鳴き龍』と称される。

説明が終わって『どなたか試してみたい方は?』

と言われてもじもじしていては話が進まないと思い真っ先に手を挙げた。

でも、私が手を叩いても龍は鳴かなかった。

後で主人が

『美智子がやったように掌を平らにして叩いても

龍が鳴かないと思うよ。

掌を丸くして叩くときに空気の動きを起こす様にしないと

龍は鳴かないんだよ。』

と解析していた。

この場は

壇上に師匠格の高僧が座り、修練僧が床に座って講義を聞くとのこと。

この床に座るのは体が冷えるだろうな~と

 私の性格にふさわしい次元の低い感慨。

ちなみに織田信長の恵林寺焼き討ちの際に

『心頭滅却すれば火もまた涼し』

 と言って火の中で亡くなったのはやはり禅僧、快川紹喜だったかな?

熱いのの辛抱と冷たいのの辛抱と

どちらがより辛いのだろう?

とまた馬鹿なことを考えている私。

 

鳴き龍を拡大すると…。

  結構かわいい顔をしてる???

これが経堂

人形の背後に写っている

無数とも言える引き出しの中に

3500巻の経典が収蔵されている、とのこと。

この引き出しの部分が回るように細工されていて、それを回すことで経典を読んだのと同じ功徳を積めるとのこと。

 こちらの考えはずぼらな私にぴったりかな?

勿論写真撮影は禁じられているので、上記ウエブサイトからの写真です。

さて最後は醍醐三宝院…。

 こちらは写真撮影が許可されているところがかなりあったので、少しはお見せすることができるかな…。