前回(と言っても随分前になりますが)、エクセターと言う街について若干説明させて頂きました。

このエクセターという町は結構歴史の古い町でその故か、幽霊の話もたくさん囁かれています。

特に多いのは大聖堂の付近…。

それも当然、大聖堂の歴史は400年代までさかのぼることができるのです。

言葉を変えれば長きにわたって人の歴史を見つめてきたわけで、その間に数知れぬ喜び、悲しみを飲み込んできたわけです。


 1283年の事ウオルター・レックレイドという名の大聖堂の聖歌隊のリーダーが早朝、宿舎に戻る途中の道で暗殺されました。

彼は当時の大司教のお気に入りであり、彼の地位は大司教の後援あってのことだと世間的に知られていました。

下位の者に対する不愉快な振る舞い、明らかに不誠実な人柄ゆえに全く人気のない人物でした。

それどころか、多くの敵対者がいたと伝えられています。

彼の死後、事務官服を着た男性の幽霊が大聖堂に定期的に現れることとなりました。

建物の最上階の属室に入っていく人影が頻繁に目撃され、誰かがその人影を追いかけるとその人影は姿を消してしまいます。

入り口以外に出口はないにも関わらず…。

左から大聖堂の内部、中央大聖堂の内部、特に説教壇とパイプオルガン、右は壁に取り付けられた時計、二つの円盤がありますが特に興味深いのは下の円盤です。

  

特にこの部分が一番古い部分と言われ、1484年頃のものと言われています。

このダイヤルは太陽の位置を示し、加えて時間を示します。

その一つ内部の丸いボールのようなものは月の運航を示し、日付を示します。そして中央は地球を示しています。

上部の円盤は分を示すとされています。

興味深いことは地球が中心に置かれ、それを中心として太陽、月が回っていることが示されているのです。

勿論キリスト教の最重要な大聖堂なので当然ですが、天動説が示されています。

ガリレオガリレイがこの大聖堂に来れば、『それでも地球は廻る。』とつぶやいたでしょうか…。

  

議会派が王党派を打ち破った清教徒革命(1642-1649)の時代に、議会派は大聖堂の装飾が華美に過ぎているとして、変更を企画しました。

色彩豊かな尼僧たちの桟敷を飾る彫像を単色の白色に塗り直すというのが彼らの計画の一つでした。

塗装工達が指示の通りに最後の彫像を塗り終えて、仕事場を後にするため梯子を外し工具を詰め終え工員の一人が確認のために仕事場に足を踏み入れた時、

彼が見たのは白く塗ったはずの彫像の一つが、元の金色に輝いている様だったのです。

仕事をやり残していることに気付かなかったのだと考えなおし、もう一度塗りなおし、その日は仕事場を去りました。

次の日の朝に彼らが見たものは……

やはり金色に輝く像だったのです。

白く塗っては金色に戻る、また白く塗る、金色にもどる、を数日繰り返し、工員たちの上級の者が大聖堂で徹夜をすることを決意しました。

そして彼が見たのは…

体がなく、手だけが動き布で像の白いペンキをぬぐい取っている光景だったのです。

彼は肝をつぶして悲鳴をあげて大聖堂から逃げ出し、それ以後その仕事を続けることはできませんでした。

そして今も像は…大聖堂で金色に光り輝き続けています。

尼僧のギャラリーの写真を探したのだけれどなくて…

  これは音楽家のギャラリーです。

天使たちが楽器を持っているのが認められると思います。

    (ウイキペディアより)

   さて幽霊は大聖堂内部だけでなく、その周辺でも目撃情報が溢れています。


上記は大聖堂の周りにある芝生……

  昼食時には付近で働く人の昼食の場所、日曜日はこうした家族連れが楽しむ場所なのですが…

  この緑美しい場所にどれほどの人が埋葬されていることか…。

 50万人とも200万人とも言われているようですが。

その原因はキリスト教徒が亡くなるとその信仰心が強い人ほど大聖堂に近い場所に葬られたのです。

 勿論貴族の人とか、大司教は内部に葬られたのですが…。そして聖堂内の人々が歩く敷石の下に葬られた人もいました。

  そうした大聖堂の周辺を墓地として使用することは500年代初頭から始まりました。

加えて1300年代以後ヨーロッパがたびたび襲われたペストの大流行です。大量の死者が出たことは想像に難くないと思います。

1630年頃にはあまり多くの人が埋葬され、もうそれ以上埋葬することは不可能になってしまいました。

穴を掘れば先の人の骨片が現れる状況になってしまったのです。story3はそんな状況の中での幽霊話です。

  1989年ある大学生が大聖堂の周りの芝生の上で居眠りをしました。

彼が突然目が覚めた時に見たのは1640年以前の大聖堂であり、彼が眠っていた芝生はなく、多数の死者を葬るための荒れた地面でした。

夢の中で彼はみすぼらしい服を着た汚らしい男性に『こいつはまだ死んでいない!』と言われながら腹部を荒々しくシャベルでつつかれたそうです。

彼は目が覚めると自分に『これは夢だ。』と言い聞かせながら、言い知れぬ不安感を感じながら家に急いで帰ったそうです。

しかし、肋骨に痛みがあり、胸には先端がとがったもので突き刺したような跡が残っていて…

医師に見せると『火傷によく似たような傷だ。』と言われ、傷跡が消えるのに数日かかったそうです。

 

 1800年代の初めの頃、ある商人の娘が自死しましたが、その頃は自殺した者を聖なる地面に埋葬することは許されていませんでした。

そしてこの不許可は信心深い彼女の父親にショックでしたが、なおさらに亡くなった娘の魂にとっても大変なショックでした。

それ以後、その年の初めての雪が降ったのち、夜には大聖堂の芝生に近寄らない方がよい、という噂がささやかれ始めました。

ばかげた振る舞いで、近寄った者は四頭の黒馬に引かれた商人の娘の死体が乗った馬車を目撃することとなりました。

雪が積もっているにも関わらず,轍の跡も馬のひづめの跡も残らず、

馬車の中には白いドレスをまとった射貫くような視線の蒼白な夫人が乗っていました。

この馬車を目撃したものは数日のうちに亡くなったそうです。

等々…。まだもっとあるのですが、あまり心地よい話でないのでこのぐらいにします。

幽霊も国が異なれば出方は異なります。

最後に口直しに美しい大聖堂のステンドグラス