主人がスーパーに買い物に行って私のために豚のレバー焼きを買って来ました。
残念ながら豚のレバー焼きを私は食べれないのです。
何故に食べれないものを買ってきたのか?
実はクリニックスタッフが焼き鳥をスーパーのお惣菜として私のために買ってくるのです。
日本語の読めない主人としては、同じようなものと思って買ってきた、と言うことは容易に推測は着くのですが…。
でも全く違うものなのですよね、焼き鳥と豚のレバーでは…。
それの違いを理解することは字の読めない主人には無理、それも私は理解している。
で、この状況で主人にも私にも食べれないものを(当然主人は食べない、と言うか彼らは肉類の臓物を食べない。焼き塩鮭の皮も食べない。)
買ってきた主人をどうするか…。
この行動を善意に根差すものとして、許す???
どうにもならないものを、しかも頼まれもしないものを買ってきたとして徹底的に責める???
どちらの反応が正しい…。
そしてこんなことで悩んでいる自分自身に、またつまらない悩み事を作ってと、主人に余計に怒りが収まらない…。
根本的な問題は主人が日本語を全く読むことも話すこともできないところにある。
それは気の毒だとは思うけれど、
私自身は不自由なく英語を話すためにBBC(イギリスのNHK)のラジオを常時つけっぱなし、
店の売り子さんまで無給でやった。(この点では自分の努力を自慢にしている。)
それに比べれば、『あなたは全然努力してないじゃない!』と言う思いはある。
しかし、BBCをつけっぱなしにしていても、ある程度は理解できるだけの基礎力はイギリスに渡った時既に所有していた。
しかし、主人は日本語に対しては今も無に等しい状況。
加えて、日本語と英語とどちらがマスターしやすい言語と考えるとやはり難しさの点では日本語に軍配が上がりそう。
年齢の点でも主人が日本に来た時、既に60歳」を超えていた。
客観的にそれらを考えると、『日本語をマスターしろ!』と言うのが無理だと私自身が諦めているところはある。
私のためにスーパーで食べ物を買ってくるのは主人のやさしさ。
その優しさを踏みつけることが人間として許されるのか…。
でも、やっぱり豚レバーは食べれません、焼き鳥は食べれるけれども…。
悩みは尽きません…。

チューリップの花言葉は優しさ、だそうな…。
私に欠けているもの????