11月19日の水曜日、談山神社を訪問した際に飛鳥寺にも立ち寄りました。

やはり、明日香村、歴史の宝庫です 

  さてどこに行こうか???

天武天皇、持統天皇陵歴史的には面白いけれど、実物はこんもりとした地面のみ??

 石舞台?これはこれで面白くて、あんな古い時代にどうしてこのような大きな石をここに運ぶことができたのか?と考えることも楽しいけれど

その感動は多分主人には無理だろうな…。

と言うわけで飛鳥寺に決定♪

 日本最古の仏像、北魏様式、ギリシア人っぽい顔っていうのも興味を引くかもしれないし…。

と言うわけで飛鳥寺、飛鳥大仏の鑑賞と決定!!

飛鳥寺;

蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭に造営された日本最初の仏教寺院、蘇我馬子の発願とされています。

日本書紀によると当時馬子は廃仏派の物部守屋と対立しており、彼との戦いの戦勝を祈願して飛鳥寺を建立したとされています。


 蘇我馬子と物部守屋;

 大臣蘇我馬子は自身の病から敏達天皇に奏上し仏教を信奉する許可を求め、飛鳥寺を建立します。

しかし疫病が流行し始めたために廃仏派の物部守屋は異国の邪神を信仰したためだとして、天皇に仏法の信仰を禁止するように求めます。

敏達天皇から仏法禁止の許しを得た物部守屋は寺に行き、仏殿を焼き,尼僧を迫害するなどします。

しかし疫病はおさまることなくますますひどくなり、敏達天皇自身も病に冒され崩御します。

 次に即位したのは馬子の推す用明天皇でした。

対し、物部守屋は敏達天皇の異母弟穴穂部皇子と結びつきます。

用明天皇2年、用明天皇は病となり、仏法を信奉したいと群臣に諮ります。

あくまで廃仏を主張する物部守屋との間にとうとう戦端が開かれて行きます。(丁未の乱)

結果、蘇我馬子は物部氏の勢力を中央の政界から除くことに成功し、厩戸皇子(後の聖徳太子)と連携して権勢を強めていくこととなります。


  左は飛鳥寺に座します飛鳥大仏です。

お顔は細面で、アーモンド型の目など

後の東大寺の大仏などの丸いお顔と比べると明らかに日本人的ではないお顔をされています。

 最古の大仏ではないかとされながらも、

国宝に指定されていないのは

現存する部分のどこまでがオリジナルの物か不明であるためとされています。

上記の右側の写真の中の濃い部分が示す様に

お顔と指の一部がオリジナルの物ではないかとされているそうです。

でもその御身は現在の場所から動かれていず、

609年の完成時よりこの場所で時の流れをじっと眺めて来たのだと思うと過ごされた時の悠久に言葉は出ません。

   

  

こちらは寺内ある幼少時の厩戸皇子(聖徳太子)の像…

でも、丁未の乱で深く結びついていた厩戸皇子と蘇我氏の関係がなぜに変わっていったのでしょうか。

  聖徳太子と蘇我馬子の娘との間に生まれた山背大兄王は推古天皇死後の後継問題の中で蘇我馬子の孫にあたる蘇我入鹿に殺されて行きます。

そして権勢を誇った入鹿も乙巳の変の中で中大兄皇子、中臣鎌足らに殺されて行きます。(その談合の場に談山神社が登場するわけです)

漸くに話を締めくくることができました♪

登場人物が多く、ややこしいこの部分の歴史を私なりに簡潔にまとめるに

思わぬ時間がかかりました。

 

こちらは飛鳥寺のすぐ

   外にある蘇我入鹿の首塚、と伝えられています。

 こうして、明日香村を訪れ、はるか昔に生きた人の足跡を目の当たりにし、

   また自身が生きていく時の流れも歴史の中に留められることなく消えていく事を感じると

  日々悩むことがなんとちっぽけなことよ、とも思えるのですが、

    煩悩の塊たる私は毎日あがきまくって、それでも思い通りにならず落ち込んでいます…。