車の中で

『ああでもない、こうでもない…。』

と諏訪サービスエリアに立ち寄る方法を考えています。

状況をもう少しわかりやすく整理すると…

         (googlemapから)

現在、私達は高速E19(長野自動車道)を安曇野から南下中。(紫の→)

主人が立ち寄りたい諏訪SAは丸印の地点。

けれど自宅に帰るためにはその前の岡谷ジャンクションで、

分岐してピンクの矢印のE19中央自動車道(西宮線)の方に入らねばならない。

しかしその道をとると、諏訪SAに行くことはできない。

横で、主人は

『もういいよ、もういいよ。』

と慎み深く穏やかな声でつぶやいているけれど…。

『うるさい、黙っておれ!!今考え中、邪魔するな!!!』

と叫んで、頭をぐるぐると必死で回す。

少し回り道になるけれど、岡谷ジャンクションを東京方面にとり諏訪SAに立ち寄り、

そのまま進んで地図右隅に写っている諏訪インターで降りて、再度E19に入り

岡谷ジャンクションに南からアクセスをとって西宮道路に入っていく。

これが一番順当な方法だろうけれど、

問題は道路工事のために諏訪SAと諏訪インターがこの進行方向のみ渋滞している。

その中には飛び込みたくない…。

いかがすべきか…。

で、私の結論は…。

岡谷インターでE19を出る。

そしてE19に戻るために諏訪インターまで国道を使ってアクセスする。

諏訪インターから下り線を使って諏訪SAに立ち寄り、

岡谷ジャンクションで、西宮線に入っていく。

E19の下り線は渋滞していない筈…。

これが私の結論。

最終的な結果論ですが、この私の考えは完全に的外れで不要だった事が後に判明します。

それはまた後のお楽しみとして…。

岡谷インターを降りて、まず真っ先に目についたのは諏訪神社への案内板。

諏訪神社…、

その言葉から連想されたのはこの地を治めた諏訪氏、諏訪御前と彼女が産んだ武田勝頼でした。

関係があるかどうか、不明ですがここまで来たのも何かの縁。

と言う事で主人に

『諏訪神社に立ち寄るわよ。』

と。

『日本でも指折りの古い神社だから、あなたにとっても面白い、と思うわ。』

と。私の頭の中に御神渡りとか、御柱祭りなどの言葉が浮かんでいました。

で,早速到着。ここでびっくりしたのは諏訪湖の周辺に諏訪神社って4つあるのですね。

で、上宮前宮、こちらは長野県茅野市宮川2030、上宮本宮、長野県諏訪市中洲宮⼭1

そして、下社春宮、長野県諏訪郡下諏訪町193 下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828

こんなことも知りませんでした。

そして正しくは4社巡りをするもの、と。

で、どこに行ったのか、と言うと。

ここに行ったことに意味があったわけではないのです。

唯、目についた標識に従った結果、ここに行き着いただけの事なのです。

入ってすぐにこんな掲示がありました。

 再来年が例の有名なお祭りの年…。

『新聞記事になる様な事故が起きる事でも

有名な祭りだな。』

と思いつつ、主人に

『有名な祭りだけれど見たい?』

と尋ねると

『別に、特に…。』

との答え…。

いつも思うけれど、主人は日本の古い建築物に興味は示すけれど、特に祭りそのものには興味を示さないな…と。

こちらが社殿…。

  

幣拝殿の彫刻は見事です…。

古い神社なので、

 崇拝の対象は山となっています。

さて諏訪大社の来歴について少し調べてみました。

 私が一番知りたかった事は何故に4社あるのか、と言う事。

まず諏訪大社の最も重要な祭神は建御名方神(タケミナカタ)、

因幡の白うさぎの話で有名な大国主命の息子とされています。

この方が上社本宮に祀られる祭神です。

彼は古事記に記載される出雲の国譲りに反対、出雲から諏訪に下ったとされ、

諏訪大社は日本で最も古い神社の一つとされているそうです。

この方の奥様が八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)、こちらが下社に祀られる神様となります。

有名な御神渡りは上社の建御名方神(タケミナカタ)が下社奥様の八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)

のもとに参られる時に現れるものだとされています。

諏訪大社の御分社は北海道から九州まで一万有余とされ、

雨、風、水の守り神、龍神信仰、及び戦いの神としてと全国の人々の崇敬を集めているとされています。

(諏訪大社ホームページ、及びwikipedia参照)

出雲大社にお祀りをされている

大国主と関係性が深いためか、

本殿は立派は注連縄で飾られていました。

少し面白いと感じたのは…

 

 確かに細かい石が寄り集まっているなと… しかしこれが巌となっているかと言うと…

   少し微妙…????全くの私の個人的感想です。

後は諏訪神社点景です。

 

行って判明したことですが、やはり行くのであれば上社本宮が一番見ごたえがあるようです…。

そして、国道を諏訪インターに急いでいると、赤彦記念館の文字が目につきました。

『赤彦?もしかして島木赤彦の事??』

そういえば彼の作品で一番好きな短歌は諏訪湖を歌ったものだったな??と。

大急ぎでタブレットを確認すると、やはり彼の記念館でした。

 少し参考までに、明治9年(1876年)長野県上諏訪村に生まれる、

歌に通じていた祖母の影響で5歳で百人一首を暗唱、後にアララギ派の中心歌人として諏訪より活動を支援。

1926年、胃がんのために51歳にて死去。

(wikipediaより)

5歳にして、百人一首を暗記するのが、すごい。

私は高校生の時に暗記したけれどもそれでも意味が理解できず、暗記に四苦八苦したのに…。

でも今はそんな勉強の仕方はしないのだろうな、と。

私の勉強方法は特に何もかもが暗記から入って行ったので…。

数学ですら、過程が詳しく書かれている参考書で、それを覚える所から始めて

その解き方をしみこませて自分の物にしていくという、非常に時間のかかる方法でした。

でも時間がかかる方法であったがゆえに記憶の中に深く残存し、

18年の時を飛び越えて京都大学に入ることができた、

と言う思いが自身の中にはあります。

反対に主人はまず理屈がないと覚えることが出来ない人です。

私の様に理屈は後からついてくるからまず丸暗記…は全くできません。

彼の日本語も一時は学習助けようとしたのですが、

『『私は』と『私が』の違いは…』とか、『『ここで』と『ここに』の違いは…』とか尋ねられると

国語にそれなりの自信もあり、国文法も分かるのですが、説明は完全にお手上げです。

で、私も努力を放棄し、彼も年齢故もあり放棄し今に至ります。

性格の違いもあるし、教育制度の違いもあって、全く理屈抜きの暗記が不可能なのです。

私は幼い子が言葉を覚える過程は暗記ではないか、と考えているのですが、

そうは言っても、第二言語として修得する過程は第一言語の知識が根底にあるわけで

やはり理解が前面に出てきます。

通常日常会話ですら、英語を話す時には頭の中で蓄積した文法、文構造及び語彙の適切なものを選んでいるという

自覚があります。

その選択ができるのはやはり根底に理解があるわけで、

その点は主人が主張することも最もと首肯するものがあります。

話がずれてしまいました。

私の覚えている赤彦の歌は

みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ

『諏訪湖の氷は解けているが、寒々として三日月の影を湖面に映している』

これだけで身の切られるように寒い情景、そして冷たい湖面を照らす三日月の様子が目の前に浮かんできます

『お見事!』という感嘆のみです。アララギ派を率いた正岡子規を提唱した写生の見事な実現があると個人的に思います。

さて色々思いながら、とうとう諏訪インターに至りました。

主人が撮った諏訪SAからの諏訪湖の写真です。

特に左側の写真は本来であれば立ち寄る筈であった上り線に存在する諏訪SAの駐車場が映っています。

下り線の駐車場の方が高台にあるので、よりきれいな写真が撮れた、と主人はご満悦でした。

しかしここで私は私の膨大な努力が全く無駄であった、事を発見してショックを受ける事になってしまうのです。

諏訪SAは今は出入口が設けられていて、簡単に出入りができるようになっていたのです。

(そんなの知らんぞ!!!と激しく心の中で突っ込み!!)

ETCカードで簡単に出入りできる出入り口が完成したのは昨年の7月27日。

ですので私の記憶には全くなかったのです。

でも、何とかして立ち寄る方法をと、何度もタブレットで地図を見ていたのですから、その情報は私の目の前にあったはず。

カーナビは数年前の物ですからその情報に当然出てこないですが…。

カーナビ情報の古さ、渋滞情報の遅さなど考えてタブレットで確認していたのですから。

通常の単純な方法に従い、上り線で諏訪SAにアクセスして、そこでスマートICを使い高速を出て再度関西向けて高速に入りなおせば

諏訪SAの後に待ち構えている渋滞に遭遇することもなく、関西への帰路をとる事が出来た筈です。

一体、私のあの膨大な(?)努力はなんだったのだ!!!

策にしがみついて、結果、策に溺れてしまった私の失敗でした。