大工の方は京都の仏壇会社と連絡を取った模様で、その結果は彼の口を通して私のもとへ伝えられました。

押入れを半分に分けるという細工では、仏壇の大きさ故に収納できない。

残される押入れはかろうじて座布団の収納に使えるのみ、布団の収納は無理になるだろうとのことでした。

その細工で良いのか、と言うのが彼が私に同意を求めた点でした。

もとより大事な事は仏壇の収納で間違いないので、彼の提案に否やはあるはずがありませんでした。

数日の作業で押入れに仕切りが設置され、必要な造作が行われ、私の目に見事な仏間が出来ました。

費用は叔母から聞かされていたものよりもずっと安価なもので安堵致したことを覚えております。

費用の請求書を見ながら

『一体、叔母が払ったという金額は本当なのか。私への嫌がらせとして法外な金額を言ったのか。それとも叔母は不当に高く払ったのか。』

疑問が湧きました。

いずれにしても私の関知することではない、と長く考えを留めることなく終わりました。

仏間の完成を伝えるとほぼ同時に京都から最終的な仕上げが終わって納入が可能になったと知らせてきました。

良い日を選び菩提寺に連絡をとり、開眼供養のための行事の準備をしました。

そして当日。

京都からは4人の方がおいでになりました。

個人の自宅に収容するにしては大きな仏壇が運び込まれました。

祝いのお弁当とお祝儀をお渡しし、無事に搬入を終わりました。

あれほどに神経を尖らせて用意したのに、あきれるほどに円滑に物事が運ばれ、彼らは早々に京都への帰りの途に就かれました。

しばらくしてお寺からお坊様がおいでになり、父方の親類と母方の親類が三々五々集まってきました。

祝い膳を用意し、供養が行われました。

新しく納入された仏壇を父方の親類は興味深く傍に寄り、しげしげと細かい細工を見つめて感嘆の声を漏らされました。

母方の親類は仏壇を眺めるわけでもなく、二間続きの遠い方の部屋の更に遠い片隅に固まって座り、小さな声で会話をしていていました。

その声は小さく、内容は聞き取ることが出来ませんでした。しかしその視線は仏壇から外れる事はなかった。

『この人たちは一体何のために今日来ているのだろう。』

彼らの様子を横目で見つめながら、私は考え続けていました。

供養と言うものが残されたものの心の平安のためにあるのであれば、

叔母たちは私達とその流れを共有できる様子はない。

亡くなった母に対しての思い出話をかわすこともなく、居心地の悪さを全身で表現しながら部屋の片隅にすわっている。

でも、彼らが母にとっては私を除けば最も血の濃い人々であることは間違いなかった。

彼らがこの場にいることを母は果たして希望しているのだろうか。

母生存中からも、切れたり繋がったりを繰り返してきた叔母たちとの関係であった。

いつも仲を修復してきたのは母であった。

厳しさの中に優しさも併せ持っていた母は自身の兄弟たちを完全に見捨てることはできなかった。

自身が困っていても、なにがしか援助の手を差し伸べることを厭わなかった。

しかしその人はもうこの世にいない。

これから、彼らとの関係はどう変わっていくのだろうか。

それともあの世に旅立つ際に母はこの厄介な関係を切り捨てて行ったのだろうか。

漂う不穏な空気を察っせられ、僧侶の方が立ち上がられ、仏壇に近づかれた。

しばらく見つめられて

『ご主人頑張られましたね。』

と口にした。

この言葉を聞きながら

『あっ、やってしまった。』

思わず心の中で叫んだ。案の上、叔母たちの顔色が変わった。

 仏壇が無事に終わり次は墓石の建立であった。

葬儀商より紹介された墓石業者と私は御坊の菩提寺に向かった。

祖父母の眠る墓所、墓石を指さし私は彼らに語った。

『これが母の両親が眠る場所です。そのほかに母の兄も、そして私の知らない先祖も…。

こちらは分かる様に芝家の墓所となっています。今回は五味家の墓所です。

先祖の墓の大きさを越えてはいけない、と周りの人にいわれています。

でも五味家と芝家とはその事は関係ないと思うのです。

唯、母は子供として自分の親よりも立派な墓に眠る事は望んでいないと思うので、

母の気持ちを大事にしてあげたいという考えから五味家の墓はこの芝家の墓より心持ち小さくして。

代わりに最高の石を用いて下さい。』

 仏壇と同様この費用も私は自分の貯金から支出するつもりでした。

しかしここで父は自分が負担すると頑強に主張し始めました。

突然の父の方針の転換に嬉しいと言うよりも、

『面倒くさい事に…。』と言う思いが強くその父を見つめる視線も冷たいものになっていた、と覚えています。

父が費用を出すとなると今までの様に勝手に物事を取り計らっていく事はできません。

それが面倒だとこの時の私には感じられたのです。

若くて未熟で物事を早いスピードでそつなく行っていきたいという思いばかりが私の心の中にありました。

それは自然と父を踏みつける事にもなって行きました。でもそのことに気が付いていませんでした。

でも、この時父は私と手を携えて歩んでいくためにその思い故に縋った、と言う理解が今となっては私の中にあります。

しかし、その父の差し伸べて父の手を私は振り切っていきます。

ところで墓石の建立の際にも叔母たちから電話があり

『おばあちゃんの墓より大きい墓を建てない様に。』

の言葉がありました。

『うん、わかった。』

と流しつつ、

『五味家と芝家関係ないだろう、そんなの。嫁ぎ先の墓が大きかったら作り替えるんか。』

と心の中で叫んでいたのですが。

墓石の建立に当てるべき費用として用意していたものを有意義に使う方法として、

当時建設中だった菩提寺の本堂に何らかの寄付をすることを私は考え始めます。

当時の住職の方は亡くなった母の同級生の方でした。

そして母の葬儀のために他にお二方の導師の方を招集して下さり、母のために見事な戒名を下さりましたが

戒名の費用をお求めなりませんでした。

そこで、墓地を格安の金額で分けてくださった事、檀家の端くれに加えて頂けたことにお礼の意味で

本堂に鎮座する鏧子(けいす)を用意することを決意します。

台座には母の死亡の日と、母の菩提を弔うために父が寄贈したという趣旨の文言が金文字で彫り込まれました。

鏧子(けいす)が運び込まれた日に先代の住職の方が古い鏧子(けいす)と私が持って行った新しい鏧子(けいす)を

何度も音をたたき比べておられた姿が今も心に残ります。

こうして矢継ぎ早に仏事に関することを次から次へと片付けて

その後に私を襲ったのはとてつもない虚無感でした。