(傭兵とは報酬を得ることを目的として契約により軍事行動に参加する兵士のこと)
本日午前診終了後、和歌山の雑賀崎漁港に魚を購入に出かけました。
雑賀崎と言えば数年前に某首相が襲われかけた地ですが、
このニュースを聞いた時私は
『よりにもよってあの場所で…???』
と驚きを感じました。
和歌山県で生まれ、そして3歳以後36歳までのほとんどの時を暮らして来ましたが、
私の独善的な主観としてあの辺りは独特な雰囲気があります。
あの場所は騒動を起こすのに一番不適な場所…
一般人であっても非常に防衛能力の高い人々の
住む土地と言う印象があります。
そして和歌山市の中心部からは隔絶している印象があります。
幼い頃には山の上にあった展望台にたまに両親に連れて行ってもらいました。
至る道は狭く、山肌をくねくねと走り、
生活の困難さ、厳しさは想像されました。
でも海がとてもきれいで両親が苦労して買った、でもポンコツの車で連れ出して貰うのは楽しみでした。
成長してくると、山部赤人の有名な歌、なども学び、
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
昔から風光明媚な歌枕の地として有名なのだと認識を改めることになりました。
近くの雑賀崎、雑賀衆の事も知識として接する機会がありました。
雑賀衆は中世から近世にかけて鉄砲傭兵、地侍集団として日本の歴史に活躍した人々の呼称です。
当時の海上交通の要所紀伊水道に面し、海上交易などに従事し、資金も潤沢であったのでしょう。
1543年鉄砲が日本に伝来すると、雑賀衆は根来衆とともにいち早くその技術を修得し、一大軍事集団を形成したとされています。
特に雑賀孫一の名は有名ですが、
戦国時代から安土桃山時代に鉄砲集団を率いた雑賀衆の棟梁として歴史にかかわった人物とされています。
残念ながら、孫市は通称で本当は一体誰であったのか真実は不明だそうです。
そうした歴史上の史実から私の中では少し排他的な屈強な軍事的人々が生活する在所と言うイメージがありました。
それが先の首相の襲撃事件の際に
『なんでまた雑賀崎で…。』
と言う感慨になったわけです。
さて、その雑賀崎漁港で漁船から格安で新鮮なお魚を格安の値段で買う事ができます。
それを目的としつつも、その前に素晴らしい景色を高台から楽しみつつ、昼食をと言う事で
友人がイタリアンのテーブルを予約してくださいました。

ご覧の様にテラスに屋外のテーブルです。
テラスの向こうには海が見えています。

こちらがテラスからの景色の一枚です。
写真右手側から中央を越えて広がるのは淡路島
そしてその左側に平らに見えているのは沼島。
その間の奥にボヤっと
見えているのが四国です
こちらは雑賀崎灯台…


写真左に見えているのが番所庭園
芝生の美しい所です。
| 番所庭園; ここは紀州藩が海の防備のために設けた見張り番所の跡地 かつて聖武天皇が和歌の浦を訪れた際、藤原卿が雑賀浦の漁火を見て詠んだ歌が万葉集に収録されており、その歌碑が庭園内に建てられていることから、万葉ゆかりの地としても知られるようになりました。 (和歌山県公式観光サイト公益社団法人 和歌山県観光連盟より) |


素晴らしい景色をバックに、美味しいイタリアンにご満悦の主人



注文したのは…
主人の好きなクワトロフォルマッジ、ペスカトーレ、それにサラダ
サラダはバケット、トウモロコシ、オリーブ、トマト、緑黄色野菜など、
具たくさんで美味しかったです。
でも…

トマト風味のパスタは写真を撮り忘れて…気が付いたらこの状態…。
景色も御馳走の一つでとても美味な昼食でした。
味は結構本格的イタリアンであまり日本ナイズされていず、主人はそのことに驚いていました。
シェフと少しお話したのですが、そして友人から追加情報では
初め和歌山で修業を開始したそうですが、その後本格的なイタリアンを習熟したくて
東京で修業されたそうです。
でもこのイタリアンレストラン、屋外なので冬の間は営業しないそうです。
ですので味と景色が気に入った主人は『もう一度行こう。』と申しておりますが
急いで11月中に行かなければ…
それが果たせなければ…
来春まで待たないとなりません。

