今日7月7日は七夕ですが、昨年は七夕どころの騒ぎではありませんでした。
ステージⅢCを診断され、そのあと幾種類かの化学療法が続きました。
もともとの乳がんは化学療法の結果、着実に縮みこんでゆき、
結果リンパ管を伝って体の内部に飛んでいるかもしれない病巣も消えて行っているであろうと推定されていました。つまり化学療法は順調に奏功していたのです。
そして手術は7月7日に予定されていました。
化学療法のおかげで病巣が縮んだので乳房温存で行うことも決まっていました。
抗がん剤治療は6月10日で終わり、6月17日にMRIを取り、さあやるぞと気合たっぷりだったのです。
6月17日も京都にMRIを取りに行くほどに元気だったのです。
昼ごはんは京都で中華料理を食べ、手術に備えて体力をつけないと、と笑っていたのです。
ところがその夜半から41度を超える高熱が出てきました。
2階の書斎にいたのですが、どうにも階段を降りることができなくなりそのまま書斎の床に敷物を敷いて休みました。熱は41度から42度を推移し、解熱剤も一時的ですぐに上がってきます。
翌日もその熱は続き、食べ物も飲み物ものどを通らず、時折に意識が混濁するようになっていきます。
水分も取れず、このままでは脱水のために心臓がへたってしまうと考えてとりあえず自分で水分補給のために点滴を入れました。しかし、もちろんよくなるはずもありません。
次の日はもう手が震えて点滴を入れることもかなわなくなってしまいました。
仕方なくクリニックの依頼している訪問看護師の方に点滴を依頼するために呼び寄せました。
しかし彼女は『先生、病院に行ってください。危ないです。バイタルは…』
血圧、酸素飽和度、脈拍のデータを見せられて驚くべきものでした。
『わかりました。病院に行きましょう。すぐに京大に連絡を取ってください。』
というわけで、京大の指示で河内長野から京都まで救急車で運ばれることとなったのです。
その旅のことはほとんど記憶に残っていません。でも3日間、二階から降りることはできなかったのですから、何とかして自力で降りたことは確かです。
京大についてからも多くのドクターのお世話となり、看護師の方々も頻繁に見回って下さり、何とか一命をとりとめることができました。
他に乳がんの化学療法を行っている方が同じような状況になると恐れる必要は全くありません。
この事態はひとえに私自身の医師としての自分への過信と判断ミスが招いたものですから。
でもそうしたことも起こりえるということを頭の片隅に治療にあたって下さる先生と密な連絡をとり、相談を早期にかけられる態勢で治療に取り組んでほしいと思います。
死線をさまよっている間はせん妄状態で病室の壁から獅子が出てくるとか、猫が出てくるとか口にしていました。今までに二匹の猫を看取っています。1匹はイギリスで、後の1匹は私の病気の発見と同時に。二匹が協力して部屋を飛び回って死神を撃退していたのかもしれません。








