今朝、明け方奇妙な夢を見た。
京大に受験に行かなければならないのに、受験票が見付からない。
そこに突然知り合いの人が登場してきて、
『前に渡した説明書きの後ろに受験票がとめてあるわよ。』
と言うのです。驚いて確認すると彼女の言葉通りに受験票があるのです。
ほっとするとともにそれまでの不安があまりに強かったので、その気持ちのままに怒りをその人にぶつけます。
『ちゃんと説明してくれないとこんなところにあるなんてわからないでしょう。』
と私。
『変な夢だな。』
と思っていると、目が覚めました。
京大か東大かで悩んでいた頃の夢、受験がらみの夢、大学での勉学をしている頃の夢、
試験で答案を全く書けずどうしようとうろたえている夢。
今に至っても頻繁にこの頃の過去の出来事がボロボロに脈絡なくつながって夢に現れます。
わき目もふらず、道がないと思い詰めて人生を突き進んでいったのです。
そこまで激しく思い詰めたのは、がん発見後の父との関係が一因となっています。
幼い時の頃の事を不確かな記憶を頼りに書いて行く過程で、
学問的な分野に才能を育んでくれたのは父親だったのだと再発見することとなりました。
最終的に父は私の医学部受験を支援することとなっていったのですが。
二人の関係がそこに落ち着くまでは本当に色々ありました。
追い詰められ、苦しんだ日々が
今も心に傷となって残って夢になって再現されてくるのでしょうか。
さて、いよいよ父と東京に向かいます。
ここから私と父の運命が大きく転換していく事となります。
東京に向かう新幹線車中から思いもかけず美しい富士山を見ることができた。
不安な前途に一筋の光明を見たような気がしてうれしかったことを今も覚えている。
その夜は東京のホテルに滞在し、翌日癌センター病院に向かうこととした。
ホテルのフロントで翌日のタクシーの手配を依頼し、その日はもはや何もすることなくそのまま就寝した。
朝食をとり、ホテルからタクシーで病院に向かう。
しかしこの時私は失敗をしてしまった。運転手に
『築地の国立がんセンター中央病院に行ってください。』
と言ってしまったのである。最悪のタイミングで父へのがん告知となってしまった。
『わしはそんな病気なのか。』
と父は聞いてきた。声が震えていた。弱い声だった。
『お母ちゃんの事もあったでしょう。決まったわけではないのよ。
絶対に大丈夫かどうか、確実にしておきたいのよ。石橋を叩いて渡った方がいいでしょう。』
とは言ったが全く慰めになっていなかった。私の説明は父の耳には入らなかった、私の声も冷たかったと思う。
母の看病を通して父になじられたことが腹立たしく、優しい気持ちにはなれなかった。
悄然とうなだれる一人の人間と、これからの事に立ち向かおうと前をきっと見つめる一人の人間とを載せて
タクシーは進んでいった。
タクシーを降り、病院の中に足を踏み入れた。きょろきょろと見回し、初診のための受付を探した。
体を休ませるために父を椅子に座らせた後、手続きを行った。
紹介状を持参できていないことを受付で何か言われるのではないかと強く恐れていたが、
そのことにはまったく触れられなかった。
受付で指示された診察室の前で私と父は待つこととなった。
私達の前の一人か二人の受診者が終わった後、私達は診察室に導かれた。
母の事で彼を尋ねて、二度目の邂逅であった。
私は彼が約束を守ってくれたことに安心し、落ち着きを取り戻した。対し、父はうろたえていた。
『いつこの病院に来ることを知りましたか。』
それが私達に発した彼の最初の言葉であった。
私達が入って来る様子から何かを察していたのだろう。
父は答えることはできなかった。答えるべき心の余裕を完全に失っていた。
『自分は癌だったのだ。』と心の中で叫んでいた事だろう。
全く答える事の出来ない父に代わって、私が答えるしかない。私が口を切った。
『実は今朝タクシーに私がこちらに向かうように頼んで初めて、こちらに来ることを知ったのです。』
それに対し『だまし討ちかね。』と彼は笑った。そして
『だまし討ちはいけないよ。きちんと説明して連れて来なさいよ。』と言葉をつないだ。
『でもね、だまし討ちをしてまで君の病気を治したいと思っている家族が君にはついている事、
それを心に止めてこれからいかなる結果が出ようとも頑張ってくださいね。
がんは治療ができれば長生きができる時代です。頑張ってくださいよ。』
と言いながら、彼の机に置かれた多くの小引き出しから大量の検査データの申し込み用紙を次から次へと取り出し始めた。
紹介状も何も持たずに来た私達だからすべてはスタートラインからであった。
父には多くの検査がこれから待ち構えていた。
私は父を一人で東京に残し、とりあえず和歌山に帰ることとした。
対し、父は廉価なホテルに移り、今回の滞在で可能な限りの検査を行う事となった。
和歌山に帰り着いた私はまず隠しておいた遺言書をびりびりに引き裂いた。
過ぎてみれば、国立がんセンターへの転院は驚くほどに簡単に終わった。
父に対し一連の検査が始まったと言う事は既にプログラムは滑り出したことを意味していた。
無事に終わった、と安心すると、私は大変な疲れを感じた。
自宅の一室に座り込んだまま、動くことができなかった。
恐ろしいほどの緊張に自身が耐えていたことを実感した瞬間であった。
しかし、父の治療は漸くに緒に就いたばかりであった。


