虚無感と言う言葉、辞書的にはむなしく何物もないという感じと意味付けられます。

しかし、そのような難しい言葉を使わなくても母の死に基づく一連の事がすべて終わった後、

私が感じたのはこれから何をすればいいのかわからない、

そしてこれから自分自身の人生をどのように生きていくべきなのか分からないという思いでした。

終焉に向かってわずかに残された人生を生きる母を一生懸命看取ったのは、

自分自身後の人生に後悔を引きずりたくないという強い思いでした。

しかし看病にあまりにも真剣に取り組み過ぎた結果、自身が空っぽになってしまい、

何をすればいいのか分からなくなってしまったのです。

定期的な仏事、仏壇の購入、墓の建立、等々一連の定め事に精力を傾けました。

しかしそれもいつか終わりが来ます。

それらが終わりに近づいてきた時、囚われたのはこれから何をして生きて行けばよいのであろう、という思いでした。

母存命中から自身の仕事が軌道に乗った頃から、自身の人生に飽き足りないものを感じていました。

毎年、毎年確立した仕事の繰り返す日々、自身の中には成長と呼べるようなものはありません。

生徒が理解できない点を指導した結果理解できるようになり、その時に見せる彼らの嬉しそうな表情は確かに価値あるものでした。

しかし、その状況でも自分自身の中には何も成長はないのです。

収入の面では問題をありませんでした。

30代前半の女性としては十分すぎるとも言える収入を得ていました。

しかし自身が人生を終わる時、人生で何を果たしたのかと振り返ったとしたら…。

金銭的に達成して財を蓄えたというのみでした。

人は亡くなる時に蓄えた財を携えてあの世に渡る事はできません。

貧から身を起こそうと必死に働いた母もすべての物を父と私とに残して逝きました。

それは母が最期には望んだことだったのかもしれません。

でも私は自身はその状況に満足できませんでした。

究極に貧を知らずに両親に護られて生きて来た私の贅沢な思いだったのかもしれません。

しかし自身が築いたものを残して受け継いで紡いでいく者も私にはありません。

現在の仕事を失い、たとえ貧に身を落とすこととなっても私自身の自己責任。

それならばなおさらに自身が納得のできる人生を生きたい、と思いました。

加えて母の死続いての父のがん告知を経験し、自身の考え方が根底から変わってしまいました。

故に自身が人を教える立場にいる事に強い疑問も感じていました。

人生の激しい転変を経験する時、乗り越える力は一体どこから出てくるのでしょう。

それは学業の出来不出来とは関係なく、どれだけの人生の智を育んでいるかでしょう。

しかし、私が教えてきたことは数学の計算をいかに巧みに行うかと言う事、英語の単語、構文を覚え込むこと…。

教えた子供達が人生の苦難に遭遇した時に助けとなるものではありません。

学習塾の教師にそんなことを教えてくれ、と望む父兄はおそらくいないでしょう。

私にもそんなことを教える力はありません。

でも自身の教えることに自信がなくなってしまった今、

宿題を行ってこなかった、覚えるようにと命じた事を覚えて来なかった子供たちを

それまでの様に叱ることが出来なくなっている自分に気が付きました。

レベルの高い高校に合格すること、学校で良い成績を修める事、

自身がそれまで最大の価値を託していたものにもはや信頼を寄せられない、と思ってしまったのです。

そして自身も周りの人々との軋轢に疲れ切っていました。

仕事を行う事よりも、自身が何かを静かに学ぶ環境に戻りたいと思いました。

でも33歳にして大学に入れたとして、後の人生に助けとなる何が学べるでしょう。

もともと文章を書くことはとても好きでした。

文学部は憧れでしたが、そこで学んだことで生活出来るほどの力があるとは思えませんでした。

私の強みは何だろうか、私の今の人生で一番の興味は一体何と考えた時に心に浮かんだのは

東京の国立がんセンターで母の医療相談の折にお会いした先生でした。

その先生の言葉でどれほどに救われたことか。

そしてその言葉の価値は自身が家族を不本意な形で失う結果になったからこそ

なお深く感じられました。

『あの先生の様な医者になりたい。それであれば私が経験した苦しい思いも辛さも人生に無駄なものでなかったと昇華できる。

私と同じような境遇にいる人を助けたい。』

自身の経験、思いを救い、まだ見ぬ人の思いも救う事の出来る医師へと人生の舵を切り直した瞬間でした。