33歳の時母親に死別し、3年後に医学部に入学、在学中に父が癌死、
その後イギリスに留学、イギリス紳士と思いがけず国際結婚することになり
主人を連れて帰国…と今に至るまでの自身の人生のあらましを語ると、
多くの人から自伝を書くように言われます。
単純な私はそうした励ましに促される形で自伝を書き始めましたが、なかなかに進みません。
振り返るのが辛い時の記録に筆が進まない事もあるのですが、
重い事柄も多く、読む人に楽しくないものを敢えて書かなくても、との躊躇もあります。
一生懸命に考え歩いて行った人生ですが、
自身の激しさゆえになかなかに人に理解できないものもあろうかと思います。
でもそうした思いに囚われているとますますに筆が進みません。
書きやすい所からと言うわけでもないのですが、
少し時を変えた時点からも筆を起こして行こうと考え、今回新たな章を加えました。
私がイギリスに渡る転機となった出来事です。
それは京都大学の医学部の4回生の時のことです。
たった一人でイギリスの様々な地域をホスピスを見学するために訪れて行きます、そして最後にはデンマークに渡っていきます。
訪れた地域の写真もはさみながらあまり肩の凝らない読み物にまとめていけたらと思います。
たった一人で訪問していきますので、
ひとりで歩く人生の辛さと言うよりも、外国でのとんでもない出来事の方が目立っています。
日本に居ては到底経験しない出来事に読むのは楽しいかなと思います。
父を亡くした後の京都大学医学部での3回生の時から話を始めます。
では。
京都大学入学後、早い時期から分かっていたことですが、大学4回生の時に自主研究として4か月の自由期間を頂けることになっておりました。
この期間の使い方は全く本人の自由に任され、何をしようと自由であるとのことでした。
医学部の基礎研究、或いは臨床の研究室において研究をすることもできました。
本人が希望すれば、外国の連携機関の研究室に滞在することもできました。
残念ながら36歳にして医学部に入った私には18歳や20歳で入学した人々と同じように時間を過ごす余裕はありませんでした。
一刻も早く、自分の希望することを学べるように環境を調整する必要があると考えていました。
父が亡くなり、わずかのお金を相続することもできました。
自身のこれから歩む道のためにこの資金をどのように費やすことが適切なのか、問いを繰り返して
かねてから考えていた様にヨーロッパのホスピスの現状を自身の目で見てくることが一番適切な使い道ではないかと結論しました。
そのための準備として3回生の時にツアーの一員として北欧をめぐる旅に参加しました。
なぜイギリスではなく北欧なのか。
イギリスも北欧もどちらも社会保障制度が整っているというイメージがありました。
私がこだわったのは終末期医療と宗教とのかかわり方だったのです。
終末期医療と宗教とは切っても切ることのできない結びつきがあります。
イギリスのホスピスはより強くキリスト教と結びついているのではないか、
キリスト教を母体して発達していったのでないか、との思い込みがありました。
この頃の日本のホスピスはキリスト教を母体として生まれてきたものがほとんどでした。
少しおくれて、新潟県長岡市に初めて仏教を母体とした終末期の施設ができてきた頃でした。
北欧のホスピスは宗教的なかかわりがやや薄く、
社会保障の観点からもっと実際的な面から終末期に関わっているのではないか、
との考えがありました。
そしてこの頃の私が特に自身のテーマとしていたのが、喪失に伴う家族の心のケアでした。
そこに宗教が助けとなるのか、どうなのか。
勿論助けとなる人もいるでしょうし、そうでもない人もいるのではないか、
私は彼らが介入してくるのを是とはしませんでした。
しかし今度は医療人として、医師として、どのように宗教との線引きをしていくのか、それが私の心の中の大きな課題でした。
当時日本よりも終末期医療が発達しているとされる国で、どのように宗教とかかわっているのか、
それを自身の目で両親の死の中で育んだ自身の中にある尺度に照らして考えていきたいと思ったのがこの北欧旅行の意図でした。
勿論、北欧の素晴らしい景色を鑑賞したいという思いもありましたが…。
まず最初はデンマークです。

デンマークでバスの運転手さんと現地ガイドの方々と
撮った写真です。
北欧の人ってどうしてこんなに綺麗なんだろう?
白い肌に、繊細な金糸の様なブロンドの髪の毛。
私が限りなく粗野な野人の様に見えます…。
こちらはデンマークの街角…



