前回のトピックに続いてこちらを書くつもりでしたが、
ひかりごけに触れる関係上、少しえぐい話に踏み込みます。
そうした話が苦手な方はこれ以上読み進めないことをお勧めします。
ひかりごけになぜ興味を持ったのか、武田泰淳の著作『ひかりごけ』を読んだことがあったからです。
この『ひかりごけ』のテーマはカニバリズム(人肉食)です。
彼の作品は実際に起きた事件をもとに書かれています。
おそらく彼の小説に基づいての事と思いますが、実際の事件も現在ひかりごけ事件と呼ばれています。
起きたのは1944年の事、彼の小説が登場したのは1953年となります。
彼の小説で人肉を食した人の首の後ろに光の輪、’ひかりごけ’が現れると表現されているのです。
それがどんなものか、自分の目で見たいと思ったのが光前寺が訪問地に入った理由でした。

この問題についてはもう少し、詳しく後程に書きます。

光前寺門前の枝垂れ桜…。
光前寺は天台宗別格本山で創建は860年、しかし織田信忠と武田勝頼の戦いなどにて多くの伽藍が失われる。

境内三重塔
とその前に座る忠犬早太郎の像






大変に枝垂れ桜の多い寺院でした。
寺のホームページでライトアップされた時の桜の見事さを表現するたくさんの写真が掲載されています。
そしてひかりごけですが…


上記の様な表示の掲げられている石垣をせっせと覗き込んだのですが…
見つかりませんでした。
ここでひかりごけ事件について詳しく書こう、と思っていたのにまた気になるものを見付けてしまいました。


なんで、ここに真田幸村縁のものが…。
と考えて、関ヶ原の戦いの前は真田家は確かこのあたりを領有していた筈…。
私の読んだ本では、真田幸村の父真田昌幸は無茶苦茶狸親父だった…としていた。
関ヶ原の戦いの際、東軍、西軍のどちらが勝っても真田家が生き残る様に現在の栃木県佐野市で親族会議を開き、
家康の重臣本田忠勝の娘を正妻としていた長男の真田信之は徳川方に、次男の真田信繁(真田幸村)は父昌幸とともに西軍に味方をすることに決定。
長野県の上田市の上田城に立て籠もり、関が原に急ぐ徳川秀忠の軍をさんざん邪魔をすることとなる。
そのために徳川秀忠は関が原に遅参し家康の大目玉となったわけであるが、
このあたり私の主観だけれど狐と狸の化かし合いの範疇ではなかったのかな?と思う。
結局、長男信之と本田忠勝の必死の命乞いがあって西側に組した正幸、信之親子は和歌山の九度山に流されてくることとなる。
『そういえば長野県にみられる戸隠ってのも忍術の一派ではなかったかな?
真田十勇士って、猿飛佐助とか霧隠才蔵とかなんか忍者っぽい名前だったような…。
でも数が合わない…。この掲示は11人って、真田十勇士は当然10人だよね…。』
無茶、頭が混乱しています。
記憶が破片なので体系立っていないのでつながらないのです。すみません……。
これ以上ここで考えていてもらちが明かないので次に行きます。
最後、駒つなぎの桜…。

こちらは残念ながら、まだ花は少しでした。

説明は上記の通り…
ひこばえであるけれども、この木自身は樹齢300年から400年と伝えられています。
ひこばえでもがんばれば一人前になれるんだ!!!よし、私も頑張るぞ!!!!って300年も400年も生きられないけれど…。




そしてはるかに望む中央アルプス…。
しかしこの桜を見るために山登り20分、足がつった!!
カニバリズム(人肉食)のひかりごけ事件は別に書きます。
ご興味のある方のみお読みください…


