昨年の8月18日に開始した幽霊と魔女狩りの話、その後に生活していたエクセターと言う町の説明『エクセターってどんな処?』が9月26日、3話目として『エクセター大聖堂に出現する幽霊』を書きました。大変遅くなりましたがその続編を書いてまいります。
いま、イギリス時代に書いた英語のレポートを参照しつつ、日本語に翻訳しながらこの文章を書いております。
このレポートを書くことになったいきさつですが
英語の会話能力を上げるためにエクセター大学管轄の語学スクールに在籍していた頃の事
スクールの課題として三人一組で課題を一つ選び、それぞれがリサーチをして一つの論文を作り上げるようにと指示されたのです。
私を含めて女性3人、一人は社会学をもう一人は歴史学をそして私が医学と言う関係で
それぞれの視点から魔女狩りを扱ってみると面白いのではないか
と私が提案したわけです。
魔女狩りを巡る資料などヨーロッパにいなければ見ることはできないでしょうし、
当時言葉だけしか知らなかった魔女狩りについて真の姿を少しリサーチしてみたい、という私自身の希望がありました。
そうして作り上げられた論文は歴史的、社会学的、医学的の異なる3観点から魔女狩りという歴史を多角的に眺めるものとなりました。
このレポートは現在私しか所有しておらず、そのリサーチは語学スクール関係者の間でも非常に評判が良高く、
後継の人々の例として提供して欲しいと私にメールが来たという後日談が着くものでもあるのですが…。
その一部を公開していきます。
日本で魔女と言うと可愛いイメージとか、あまりおどろおどろしいイメージはないのですが
イギリスで論文の表紙にするために魔女の絵を探した時、
日本人が持つイメージとはかけなれた衝撃的絵画が多くて途方に暮れたことを今も思い出します。
魔女の宅急便のキキのイメージは片鱗も見出すことができませんでした。
その点を了解しながら読んでいただければと思います。
魔女と呼ばれた人々は中世の初期の頃から魔術師として存在していました。
魔女という考えは特にヨーロッパに限局したものではなく、エジプトや西アジアにも歴史的にその存在を認めることはできます。
家畜が死亡した時、作物が不作になって十分な収穫が得られなかった時、それらは魔女の仕業として関連付けてみなされることもありましたが
それが魔女狩りに至った主たる理由ではありませんでした。
魔女狩りが行われたのはひとえに政治的道具としてでした。
十字軍による異端者への抑圧、そして異端裁判の確立、異端裁判による拷問に堪えられなかった時、それは魔女と認定された人々への迫害へと発展していったわけです。
国より多少の違いはありますが、魔女狩りの狂信的な状況は16世紀から17世紀に訪れます。
皮肉なことに文化的に多大な進歩として見なされる印刷術の進歩が魔女狩りの狂信的状況に拍車をかけることとなります。
ドイツにおいてグーテンベルクの活版印刷術の発明が1440年頃、そしてその技術は1500年頃に多大に発展してきます。
この印刷技術の進歩が魔女の典型的な姿を伝播することに貢献し、魔女狩りを広範囲に広げることとなっていったわけです。
時を同じくして、カトリック教会に対し批判的な宗教改革がルターやカルビンなどによって提唱されるわけですが、
彼らの魔女狩りに対する態度は教会とはさほどに異なるものではありませんでした。
地域 | 魔女狩りの行われた時代 | 裁判にかけられた人々の数(記録が確認できるもの) | 処刑された人々の数 | 処刑比率(%) |
フライブルグ | 1607~1683 | 162 | 53 | 33 |
ジュネーブ | 1537~1662 | 318 | 68 | 21 |
ルクセンブルク | 1509~1687 | 547 | 358 | 69 |
フランス、ノール県 | 1542~1679 | 187 | 90 | 48 |
フィンランド | 1520~1699 | 710 | 115 | 16 |
ノルウエー | 1551~1760 | 730 | 280 | 38 |
イギリス、エセックス地方 | 1560~1672 | 291 | 74 | 24 |
スコットランド | 1563~1727 | 402 | 216 | 54 |
ハンガリー | 1520~1777 | 932 | 449 | 48 |
上記の表が記録として残る魔女狩り裁判の実態です。
国により数値にかなり違いがあり、それはその国の狂信的状況の反映であると同時にどれだけ正確に記録として留められたのかということも見逃すことができないと思います。
裁判が末端の教会先導で行われたのか、それともイギリスの様に政府の権威機関主導にて行われたのか、で裁判数、処刑比率に違いが出てきています。
それとともにイギリスが年代的に後発だったのは、やはり島国であるという地形的特徴が反映した結果であると考えることができると思います。

ネス湖
ネッシーは残念ながら現れませんでした。
エジンバラの街

更に資料ですが…
私達は魔女と言うとほぼ自動的に女性と考えますが、国より男女比も異なります。
アイルランド | 90%(男性) |
エストニア | 60%(男性) |
フィンランド | ~50%(男性) |
ハンガリー、デンマーク、イングランド | >90%(女性) |
これは魔女狩り裁判にかけられた人の男女比です。
国より著明に男女比が異なっています。
しかしながら魔女狩り裁判においてやはり犠牲になったのは大多数が女性だったのです。