両親の菩提寺が和歌山県の御坊市にある関係でかなり頻繁に御坊市に参ります。

その機会を捉えて、観光地を訪問することもありますし、時には途中の有田市でミカンを買い求めてくることもあります。

色々と過去の歴史に思いを馳せながら、所縁の場所を車で訪れることもあります。

熊野古道も一部ですが主人と歩きましたし、南部、田辺、白浜、勝浦、湯の峰温泉、龍神温泉といくつかの場所に滞在もして来ました。

その中で少し異色なのは道成寺です。

昔、母がポンコツの軽自動車を両親の援助で買い求めた時、お礼として両親と道成寺に向かいました。

しかし途中で車がパンクしてしまい、今とは状況が違う60年以上も前の事、とうとう道成寺には行くことができないままに終わりました。

それ以来道成寺は私の中で、近くて遠い場所として残りました。

で、主人と色々の場所を訪問することになり、その一つとして近年訪問しました。

道成寺は安珍清姫伝説で有名ですが、創建時についても一つの伝説が残っています。

創建は701年、文武天皇によるものですが、その背後には文武天皇の夫人であった藤原宮子の希望があったと言われています。

この藤原宮子の出自が伝説なのです。

この話は安珍清姫伝説に比べるとあまり世間に知られていない様に思います。

そこであらましを…

御坊市湯川の海浜に夫婦の海女が住んでいた。
この夫婦は子供がいないことを悲しみ、地元の八幡宮に子供を授けてくれることを願った所玉のような女の子を授かった。
   しかし残念ながら成長しても女の子には髪の毛が生えてこなかった。
   ある時、夫婦は海の中に光り輝く観音像を見つける。
   そしてその観音像を大切に祀り、祈ると女の子に見事な髪の毛が生えてくることとなった。
   ある時、一羽の雀が姫の髪の毛を一筋加えて飛び去り、その髪の毛を藤原不比等(藤原鎌足の子供)の屋敷の軒下の巣を作るのに使った。
   巣から垂れ下がる美しい髪の毛に目を止めた不比等は髪の毛の持ち主を探す様に命じた。
   姫は見出され、不比等の養女として文武天皇に入内することとなり、聖武天皇を生むこととなる。
   入内されて後も故郷に残した観音像の事が気にかかり、文武天皇にお願いして寺を建立することとなる。

と言うのが、一般的に語られている話なのですが

 勿論、さまざまに異説もあります。

ところがこの宮子姫、藤原不比等の養女として文武天皇に入内し、聖武天皇を出産するのですが、出産後も心的障害、うつ病に苦しんだと伝えられているのです。

そして長い年月に亘り自身の子供たる聖武天皇とも対面しなかったとも伝えられているのです。

この藤原宮子を通してまず藤原氏が勢力を朝廷の後宮に及ぼし始め、そして後に子供の聖武天皇に彼女の姉妹の藤原光明子が入内していく。

と言う流れになっていきます。

もし彼女がいなければ、藤原氏の繁栄はなかったのでしょうか。

一体、藤原宮子と言う女性はどういう人だったのか、今となっては何も分かりません。

過去の歴史に対して、『これが起こらなかったら…。』と後の世から尋ねることは意味のない事です。

その様なことを思いながら、自身の歩みを唯一のものとして自身の人生をゆっくりと歩んでいきたいと思います。

 

道成寺の桜です。

  近畿で早い桜です。